トスカ

あらすじ

 

時と場所:1800年6月17日、ローマ

 

登場人物;

トスカ(S): 歌手

カヴァラドッシ(T): トスカの恋人、画家

スカルピア(Br): ローマの警視総監

アンジェロッティ(Bs): 政治犯、共和主義者

ほか

 

【第1幕】

時は1800年6月、舞台はローマ。このときローマは共和制が崩壊していて、王制のもとで恐怖政治が行われていました。王制側の警視総監スカルピアは、共和主義者を次々と投獄していましたが、そのひとりアンジェロッティは脱獄に成功して、聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会に身を隠します。そこで出会ったのが、この教会でマリアの絵を描いていた画家で、共和主義の同志だったカヴァラドッシです。カヴァラドッシは、脱獄してきたアンジェロッティを自分の隠れ家に案内します。
一方、アンジェロッティを追ってきて教会を捜索していた警視総監スカルピアは、そこでローマの歌姫トスカを見つけます。彼は、トスカが恋人カヴァラドッシの家に行くようにうまく仕向けて、その後を手下に尾行させることにしました。
このときスカルピアには、王制側の軍が共和制を掲げるナポレオン軍を破ったという知らせが入っていました。

 

【第2幕】

その夜、ファルネーゼ宮殿の自室にいたスカルピアは、手下からアンジェロッティは見つからなかったが、カヴァラドッシを連れてきたと聞き、彼を拷問にかけて居場所を聞き出そうとします。彼が口を割らないので、スカルピアはトスカを呼びつけ、恋人が拷問されているのを見せます。トスカはそれに耐えられず隠れ家の場所を教えてしまいました。
ちょうどそのときです。王制側の軍が勝ったというのは間違いで、ナポレオン軍が勝利したという一報が入ります。王制による恐怖政治はこれでおしまいだと喜ぶカヴァラドッシを、怒ったスカルピアは死刑にすることとしました。
トスカは彼の命を助けてほしいとスカルピアに頼みます。スカルピアはトスカが体を自分に捧げるなら助けてやると約束します。そして、スカルピアが彼女の体に手を触れようとした瞬間、トスカはそこにあったナイフでスカルピアを刺し殺してしまいました。

 

【第3幕】

トスカはその足で、サン・タンジェロ城の牢屋に捕らわれているカヴァラドッシのもとに駆けつけます。彼女は一部始終を彼に話して、銃殺刑は空砲で見せかけのもので、その後いっしょに逃げられることを伝えます。
しかし、処刑が執行されて、トスカがカヴァラドッシに近寄ってみると、彼は死んでいます。スカルピアとの約束が嘘だったことにトスカは初めて気が付きました。ちょうどスカルピア殺害を発見した兵士が追ってきたとき、トスカは城壁から身を投げて自らの命を絶ったのでした。

プログラムとキャスト

導体| ドナート・レンゼッティ

ステージディレクター| エドアルドデアンジェリス

セットデザイン| ミモ・パラディーノ

衣装デザイン| マッシモ・カンティーニ・パリーニ


通訳者


フロリア・トスカ| カルメン・ジャンナッタジオ(22、24、26、28)/モニカ・ザネッティン

マリオ・カバラドッシ|ファビオ・サルトリ(22、24、26、28)/アルセン・ソゴモンヤン

イルバローネスカルピア| エンクバット・アマルトゥシン(22、24、26、28)/ジョージ・ガグニゼ

チェザーレ・アンジェロッティ| レンゾー・ラン

サクリスタン| マッテオ・ペイローネ

スポレッタ| フランチェスコ・ピッタリ


サンカルロ劇場のオーケストラとコーラス

サンカルロ劇場の子供合唱団の参加を得て

サンカルロ劇場の新作

チケットを購入する
JAN 1970

サン・カルロ劇場 ナポリ

サン・カルロ劇場はイタリア・ナポリにある歌劇場で、劇場としてはヨーロッパで現役最古のものである。資金不足のため1874年-1875年のシーズンが中止された以外、定期公演が中止されたことがない点でも特筆される。

サン・カルロ劇場は、ナポリに劇場があることを望んだブルボン朝ナポリ王国の初代王カルロ によって建造された。開場は1737年11月4日、演目はピエトロ・メタスタージオ台本、ドメニコ・サッロ音楽のオペラAchille in Sciroであった。この時サッロはオーケストラの指揮も行い、幕間にはグロッサテスタの2つのバレエも演じられた。この劇場はその建築、金装飾、および豪華壮麗な青色(ブルボン家の色であった)の布張装飾で有名となった。

1816年2月12日、サン・カルロ劇場は火事により焼失するが、両シチリア王フェルディナンド1世の命により僅か10か月にして再建される。現在の建築はこの再建建築と基本的には同一であり、変化はヴェルディの提案したオーケストラ・ピットの設置(1872年)、電気照明の導入および中央シャンデリアの撤廃(1890年)、入口ロビー並びに楽屋棟の建築、に限られている。

1817年1月12日、再建された劇場はマイールの「パルテーノペの夢」(Il sogno di Partenope)で再オープンする。スタンダールはこの公演の2夜目を聴いており「ヨーロッパのどこにも、この劇場に比べ得るどころか、この劇場の素晴らしさの足許に及ぶところも存在しない。ここは人の目を眩惑し、ここは人の魂を狂喜させる」と書き記している。

1815年から1822年まで、ロッシーニはこのサン・カルロ劇場を含めたナポリ王国全ての王立オペラ劇場の劇場付作曲家・兼音楽監督であり、「オテロ」「湖上の美人」を含む9つのオペラがこの時期書かれた。

ジュゼッペ・ヴェルディもまたこの劇場と縁深い一人である。必ずしも彼の傑作とは言いがたいが、「アルツィラ」および「ルイザ・ミラー」はサン・カルロ劇場のために書かれた作品である。「仮面舞踏会」も本来はこの劇場のためのオペラだったが、スウェーデン国王が暗殺されるという筋書自体が王国であるナポリでは検閲で不許可とされ、舞台をアメリカ・ボストンに、初演地もローマに変更しての公演となった。

20世紀に入って、サン・カルロは革新的な支配人アウグスト・ラグーナを迎える。彼は1920年からの10シーズンをすべてワーグナー作品で開幕するという、当時のイタリアでは異例のプログラムを組み、またリッカルド・ザンドナーイ作曲、ガブリエーレ・ダンヌンツィオ脚本のオペラ「フランチェスカ・ダ・リミニ」などの新作オペラの初演にも熱心だった。

第二次世界大戦で大きな損害がなかったことも幸いして、サン・カルロ劇場は戦後いち早くイギリスへの引越公演(1946年)を行うなど、オペラ劇場としての機能を回復した。その革新的伝統は戦後も継続し、たとえばアルバン・ベルクの「ヴォツェック」のイタリア初演(1949年、カール・ベーム指揮)などが行われている。

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