シモン・ボッカネグラ

チケットを購入する
PreviousJUN 2026

 

コンサート形式での上演

プロローグと3幕のメロドラマ
ジュゼッペ・ヴェルディの音楽
アントニオ・ガルシア・グティエレスのドラマ『シモン・ボッカネグラ』に基づき、アッリーゴ・ボーイトが追加および改訂したフランチェスコ・マリア・ピアーヴェのリブレット

 

構成

プロローグ付きの全3幕。第1幕は2場に分かれる。

 

プロローグ

サン・ロレンツォ教会の広場とフィエスコの館の前

平民派のパオロとピエトロは、私掠船船長のシモンをジェノヴァ総督に担ぎ出そうと相談する。呼び出されたシモンには政治的野心はなく、パオロたちの申し出を聞いて躊躇する。しかし、シモンの恋人であるマリアは政敵フィエスコの娘であり、マリアはフィエスコによって館に幽閉されていた。自分が総督になれば、フィエスコもマリアとの結婚を許すかもしれないと考えたシモンは、総督選挙への出馬を決意する。

 

館からうちひしがれた姿のフィエスコが現れる(アリア「哀れな父親の苦悩する心は」)。シモンはフィエスコの館を訪ね、和解とマリアとの結婚の許しを請う。フィエスコとシモンの二重唱。しかし、フィエスコはシモンとマリアの娘を自分によこせと迫る。娘が行方知れずであることをシモンが語ると、フィエスコは、自分の孫が戻るまで和解しないといって立ち去る。いつもは閉じられている館の扉が開いており、シモンはマリアに会いたい一心で館の中に入るが、そこで病死したマリアを見いだす。愕然として広場に出てくるシモンを、民衆が「シモン万歳!」と歓呼の声で迎える。

 

第1幕

第1場

プロローグから25年後。ジェノヴァ近郊のグリマルディ伯爵邸

アメーリアが登場(ロマンツァ「暁に星と海は微笑み」)。彼女のもとへ恋人のガブリエーレがやってくる。アメーリアとガブリエーレの二重唱。アメーリアはシモンとマリアの行方知れずになっていた娘で、グリマルディ家に拾われていた。このことを知らないフィエスコは、アンドレーアと名乗ってアメーリアを養育していた。シモンはジェノヴァ総督となり、腹心のパオロとアメーリアとの結婚話を進めるために、グリマルディ家を訪れようとしていた。これを知ったガブリエーレとアメーリアはすぐに結婚しようと愛を誓い合う。アンドレーアが現れ、アメーリアが孤児であることをガブリエーレに語るが、ガブリエーレはそれでもアメーリアを妻にしたいという。アメーリア、ガブリエーレ、アンドレーアの三重唱。

 

シモンの到着が告げられ、アンドレーアとガブリエーレはその場を去る。シモンはアメーリアに、パオロと結婚すれば、追放されたグリマルディの一族を赦免するという。アメーリアは、自分には心に決めた相手がいること、財産目当てのパオロとは結婚しないと拒絶し、そもそも自分はグリマルディ家の娘ではないと身の上を明かす。話を聞くうちに、シモンはアメーリアが自分の娘であることに気づく。二人は抱き合い、25年ぶりの再会を喜ぶ。シモンとアメーリアの二重唱。

娘の意を汲んだシモンはパオロとの結婚話を破談にする。しかし、この通告を受けたパオロは逆上してシモンを恨み、ピエトロと組んでアメーリアの略奪を企む。

 

第2場

ジェノヴァ共和国の議会場

議会でシモンがヴェネツィア共和国との和平の重要性を説いていると、突然外で争乱が起こる。民衆に追われたガブリエーレとフィエスコが議会場に駆け込んでくる。シモンは民衆を制止するが、ガブリエーレは、アメーリアが誘拐され、その首謀者こそシモンだと糾弾して斬りかかる。助け出されたアメーリアが2人の間に割って入り、黒幕が別にいることを告げる。貴族派と平民派は互いに罵り合うが、シモンは同胞同士のいさかいを止めるよう説く。シモンは騒動の原因となったガブリエーレとフィエスコを牢に入れると、パオロに対し、この部屋に卑劣な裏切り者がいること、自分はそれが誰なのか知っていること、パオロを証人としてそのならず者を呪え、と迫る。パオロは青ざめ、震えながら自分で自分を呪う。

 

第2幕

総督の部屋

シモンを深く恨んだパオロは、シモンの水差しに毒を盛る。さらに、捕らえられていたアンドレーアとガブリエーレを牢から出す条件として、2人にシモンの暗殺を持ちかける。フィエスコは拒絶して再び牢に戻されるが、ガブリエーレはシモンがアメーリアとお楽しみ中だとパオロから吹き込まれ、激怒する(アリア「わが心に炎が燃える」)。面会にやってきたアメーリアにガブリエーレは怒りをぶちまける。そこへシモンがやってきたため、ガブリエーレはバルコニーの物陰に隠れる。アメーリアはガブリエーレの赦免を嘆願し、シモンは寛大な措置を約束する。

 

疲れたシモンは水差しの水を飲み、眠気を催す。ガブリエーレがシモンを殺そうとして近づき、剣を抜く。戻ってきたアメーリアがそれを見つけて止める。シモンは目を覚まし、自分がアメーリアの父親であることを明かす。ガブリエーレはシモンに謝罪する(シモン、アメーリア、ガブリエーレによる三重唱「あなたは彼女の父上!」)。そのとき再び外で騒ぎが起こり、ガブリエーレはシモンのために、争乱を沈静化させようと出て行く。

 

第3幕

総督の部屋

争乱が鎮圧され、フィエスコが釈放される。反逆罪で捕らえられたパオロは、処刑場に引き立てられながら、シモンの体に毒が回っていることをフィエスコに告げる。遠く教会からアメーリアとガブリエーレの婚礼の合唱が総督の部屋まで響いてくる。

 

毒によって衰弱したシモンは、海を懐かしむ(モノローグ「慰めてくれ、海のそよ風よ!」)。フィエスコがシモンの前に現れる。シモンはフィエスコに、アメーリアこそが自分の娘であり、フィエスコの孫だと告げ、ついに二人は和解する。シモンとフィエスコの二重唱「わしは、神の御声に涙を流す」。そこへ結婚式を終えたアメーリアとガブリエーレが登場、シモンはフィエスコがアメーリアの祖父であることを明かす。シモン、フィエスコ、アメーリア、ガブリエーレによる四重唱「偉大なる神よ」。シモンは残された者たちの平和を祈り、ガブリエーレを次の総督に任命して息絶える。

 

 

プログラムとキャスト

イタリア語上演、イタリア語および英語の字幕付き
上演時間:約2時間40分(休憩含む)

 

指揮者 | ミケーレ・スポッティ ♭

 

出演者
シモン・ボッカネグラ | ルドヴィク・テジエ
ジャコポ・フィエスコ | ミケーレ・ペルトゥージ
パオロ・アルビアーニ | マッティア・オリヴィエリ
ピエトロ | アンドレア・ペッレグリーニ ♭
マリア・ボッカネグラ | マリーナ・レベカ ♭
ガブリエレ・アドルノ | フランチェスコ・メーリ
弩兵隊の隊長 | ヴァスコ・マリア・ヴィニョーリ ♮
アメリアの侍女 | エリーデ・アントニア・ファッチュート ♮

 

♭ サン・カルロ劇場デビュー
♮ 合唱団のアーティスト

 

サン・カルロ劇場のオーケストラと合唱団
合唱指揮者 | ファブリツィオ・カッシ

 

サン・カルロ劇場プロダクション

サン・カルロ劇場 ナポリ

 

 

サン・カルロ劇場はイタリア・ナポリにある歌劇場で、劇場としてはヨーロッパで現役最古のものである。資金不足のため1874年-1875年のシーズンが中止された以外、定期公演が中止されたことがない点でも特筆される。

サン・カルロ劇場は、ナポリに劇場があることを望んだブルボン朝ナポリ王国の初代王カルロ によって建造された。開場は1737年11月4日、演目はピエトロ・メタスタージオ台本、ドメニコ・サッロ音楽のオペラAchille in Sciroであった。この時サッロはオーケストラの指揮も行い、幕間にはグロッサテスタの2つのバレエも演じられた。この劇場はその建築、金装飾、および豪華壮麗な青色(ブルボン家の色であった)の布張装飾で有名となった。

1816年2月12日、サン・カルロ劇場は火事により焼失するが、両シチリア王フェルディナンド1世の命により僅か10か月にして再建される。現在の建築はこの再建建築と基本的には同一であり、変化はヴェルディの提案したオーケストラ・ピットの設置(1872年)、電気照明の導入および中央シャンデリアの撤廃(1890年)、入口ロビー並びに楽屋棟の建築、に限られている。

1817年1月12日、再建された劇場はマイールの「パルテーノペの夢」(Il sogno di Partenope)で再オープンする。スタンダールはこの公演の2夜目を聴いており「ヨーロッパのどこにも、この劇場に比べ得るどころか、この劇場の素晴らしさの足許に及ぶところも存在しない。ここは人の目を眩惑し、ここは人の魂を狂喜させる」と書き記している。

1815年から1822年まで、ロッシーニはこのサン・カルロ劇場を含めたナポリ王国全ての王立オペラ劇場の劇場付作曲家・兼音楽監督であり、「オテロ」「湖上の美人」を含む9つのオペラがこの時期書かれた。

ジュゼッペ・ヴェルディもまたこの劇場と縁深い一人である。必ずしも彼の傑作とは言いがたいが、「アルツィラ」および「ルイザ・ミラー」はサン・カルロ劇場のために書かれた作品である。「仮面舞踏会」も本来はこの劇場のためのオペラだったが、スウェーデン国王が暗殺されるという筋書自体が王国であるナポリでは検閲で不許可とされ、舞台をアメリカ・ボストンに、初演地もローマに変更しての公演となった。

20世紀に入って、サン・カルロは革新的な支配人アウグスト・ラグーナを迎える。彼は1920年からの10シーズンをすべてワーグナー作品で開幕するという、当時のイタリアでは異例のプログラムを組み、またリッカルド・ザンドナーイ作曲、ガブリエーレ・ダンヌンツィオ脚本のオペラ「フランチェスカ・ダ・リミニ」などの新作オペラの初演にも熱心だった。

第二次世界大戦で大きな損害がなかったことも幸いして、サン・カルロ劇場は戦後いち早くイギリスへの引越公演(1946年)を行うなど、オペラ劇場としての機能を回復した。その革新的伝統は戦後も継続し、たとえばアルバン・ベルクの「ヴォツェック」のイタリア初演(1949年、カール・ベーム指揮)などが行われている。

類似したイベント