タメルラーノ

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「タメルラーノ」ヘンデル作(コンサートバージョン)

 

あらすじ

 

第1幕

オスマン皇帝バヤゼットはタメルラーノに敗れてその捕虜になっている。ギリシアの王子アンドロニコは最初バヤゼットのもとにあったが、現在はタメルラーノに臣従している。

アンドロニコはバヤゼットの娘のアステリアと愛しあっていたが、タメルラーノはアステリアにひとめぼれし、婚約者であるトレビゾンド王女のイレーネをアンドロニコにまわして、自分がアステリアと結婚しようとする。そのことを聞いたアステリアはアンドロニコが出世のために自分を利用したと考えて嘆く。バヤゼットはタメルラーノと娘との結婚を認めない。

イレーネもタメルラーノの心変わりに憤るが、アンドロニコの策略で従者に変装し、頃合いをみはからって正体をあらわすことにする。

 

第2幕

アステリアはタメルラーノとの結婚を承諾し、タメルラーノは本人の承諾があるならば父親が認める必要はないと考える。アンドロニコはアステリアを止めようとするが、アステリアはアンドロニコの懇願を振り切る。

レオーネがイレーネを従者としてタメルラーノに紹介する。

 

バヤゼットは、オスマンの神聖な血がタルタルと混じってはならないと主張してタメルラーノを侮辱し、アステリアを勘当する。アステリアは玉座から降り、結婚は実はタメルラーノに近づいて暗殺するための策略だったことを明かす。タメルラーノは怒り、アステリアとバヤゼットを獄につなぐように命令して去る(タメルラーノ、バヤゼット、アステリアの三重唱)。

アステリアは自分が不実だったかどうかをたずねる。バヤゼット、アンドロニコ、イレーネはそれぞれアステリアの態度が立派であったことを証言する歌を歌う。アステリアは自分は暗殺には失敗したが、タメルラーノの心を傷つけることはできたと歌う。

 

第3幕

バヤゼットはアステリアに毒を渡し、はずかしめられそうになったら飲むようにいう。

タメルラーノはまだアステリアのことを思い切れず、アンドロニコにとりなしを頼むが、アンドロニコは自分がアステリアの恋人であることを明かして拒絶する。怒ったタメルラーノが去った後、アンドロニコとアステリアは二重唱を歌う。

タメルラーノはアステリアを奴隷に落とし、バヤゼットの見ている前で自分に水を持ってくるように命令する。アステリアはひそかに水に毒を入れるが、それを見ていたイレーネが正体を明かして妨害したために失敗する。アステリアは自ら水を飲んで死のうとするが、アンドロニコに止められる。バヤゼットは激しい怒りのアリアを歌う。イレーネは、過去のしがらみを水に流すようにタメルラーノに勧める。

 

レオーネがタメルラーノのもとに現れ、バヤゼットが譲歩を申し出たと報告する。タメルラーノはバヤゼットを呼びだすが、そこに現れたバヤゼットはすでに毒を飲んでおり、複雑なレチタティーヴォとアリオーゾを歌う。管弦楽の音が次第に少なくなり、バヤゼットが死んだことを表す。

アステリアとアンドロニコも後を追って自殺しようとするが、バヤゼットの様子に心を打たれたタメルラーノは、アンドロニコにアステリアと結婚してビザンティウムで即位することを認める。タメルラーノはイレーネにも謝罪し、全員の合唱で劇を終える。

プログラムとキャスト

カタルーニャ語の字幕付きコンサート。

 

ポリーナ・パスティルチャク、ソプラノ
ヘレナ・ラスカー、アルト
ポール=アントワーヌ・ベノス=ジャン、カウンターテナー
アレックス・チャンス、カウンターテナー
トーマス・ウォーカー、テノール
マティアス・ウィンクラー、バス
フライブルク・バロックオーケストラ
ルネ・ヤコブス、指揮

 

プログラム
G. F. ヘンデル: タメルラーノ(コンサートバージョン)。リブレット:アゴスティン・ピオヴェーネとニコラス・パドロン

カタルーニャ音楽堂

カタルーニャ音楽堂は、スペイン、バルセロナにあるコンサートホール。1997年、サン・パウ病院とともに、バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院としてユネスコの世界遺産に登録されました。

カタルーニャ音楽堂は建築家リュイス・ドゥメナク・イ・ムンタネーによってムダルニズマの様式で設計されたコンサートホールである。1905年から1908年にかけて、カタルーニャ・ルネサンスにおいて指導的役割を果たした合唱団、ウルフェオー・カタラーのために建設された。建設にあたってはバルセロナの篤志家たちの財政支援も受けている。この音楽堂の建設によりドメネクは1909年にバルセロナ市より賞を受けた。

1982年から1989年にかけてオスカル・トゥスケッツとカルラス・ディアスによる大規模な修復が行なわれた。1997年、カタルーニャ音楽堂はユネスコの世界遺産に登録され、今日では毎年50万人以上の人々が交響楽や室内楽、ジャズ、伝統音楽などを楽しむためにこのホールを訪れている。

サン・パウ病院とともに、20世紀初頭のバルセロナにおけるアールヌーボー様式を伝えるものとして世界遺産に登録された。

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