ドン・カルロ

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五幕のオペラ
作曲 ジュゼッペ・ヴェルディ
台本 ジョセフ・メリーとカミーユ・デュ・ロクル、フリードリヒ・シラーの劇『ドン・カルロス』に基づく
イタリア語翻訳 アキッレ・デ・ラウジエールスとアンジェロ・ザナルディーニ

 

あらすじ

1867年稿による
舞台: 16世紀半ば、第1幕はフランス、それ以降の幕はスペインへ移る。

 

第1幕

フォンテンブローの森

フォンテンブローの森の中、時節は冬。遠くに宮殿が見える。舞台右手に大きな岩があり避難所のようになっている。木こりたち、妻たち、子供たち 幾人かは伐り倒した樫の木を小さく切っている。彼らは合唱で「冬は長く、生活は厳しい、パンは高い、戦争は何時終わるのだ」と窮状を嘆いている。今日は王室の狩の日、舞台裏からのファンファーレと獲物を追って走り回る狩人達の叫び声と共にフランス王女エリザベートが現れる。狩人達は木こり達に獲物を与えると去っていく。この光景をスペインの皇太子ドン・カルロスが物影から窺っている。ドン・カルロスは身分を隠して、婚約者のエリザベートを一目みたいがために、この森に潜入したのだった。この時エリザベートは戦争で貧困に苦しむ民衆の姿を見る。カルロスはこの時初めて婚約者を見て、アリア「あの人を見て」を歌い愛情を吐露する。エリザベートの後を追っていると、妃の一行は道に迷ってしまう。角笛が夜を告げると、カルロスはエリザベート及び小姓のティボーと対面する。カルロスはスペインの大使の随員である名乗り、助けを申し出る。小姓のティボーが更なる助けを求めて立ち去ると二重唱「一体何をしているのですか」を歌う。エリザベートが自分の婚約者カルロス王子について執拗に質問をして行く内に感情が高ぶっていく。カルロスはついに王妃に王子の肖像を見せるや否や即座に彼こそが、王子そのものと分ったエリザベートは喜び、将来の夫に愛の告白をして、カバレッタ風の二重唱「胸を刺すような激しい想いに」で激しく高揚する。この二人の歌う旋律は二人の愛の象徴として全編において回想される。この喜びもつかの間、突然祝砲が轟き渡り、愛を囁き合っている二人のところへ、小姓のティボーが伝令に来て、フランス王アンリ2世はエリザベートが王子ドン・カルロスの結婚相手ではなく、スペインのフィリップ2世の王妃に決定したと知らせる。これによりスペインとフランスとの戦争が終結し和平が実現することになると伝えたのだった。皇太子妃になるはずが王妃に変更されたので、エリザベートは驚愕し、悲嘆に暮れながらアリア「おお、祭りと歓喜の歌よ」を歌う。一方、舞台裏では歓喜の合唱が対置される。レルマ伯爵が現れ、結婚の承諾を求める。国家の決定には逆らうすべもない。人々の歓喜の祝福の合唱とは裏腹にエリザベートは落胆し、カルロスは自らの呪わしい運命に打ちひしがれるのだった。

 

第2幕

第1場

サン・ジュスト修道院の回廊

4本のホルンによる荘厳な導入部に舞台裏の合唱が歌うカール5世の葬送歌「カール5世、神聖なる皇帝は」が流れる。裏に墓があり、修道僧たちが祈りを捧げている。すると、祈っていた修道僧の1人が近づいて来て、カール5世は尊大さと愚かさの罪を犯したと呟く。どん底に落とされたカルロスが、心の安らぎを求めて入って来る。「息子よ、地上の悩みは、」と荘重に吟じる。この神聖な場所にも俗世の苦しみが押し寄せていることをカルロスに示唆するのだった。その声がカルロスに祖父カール5世を思い起こさせるのだった。すると宮廷での唯一の理解者で親友の、ポーザ侯爵ロドリーグがやって来る。虐げられているフランドルの民を救うため、気持ちを切り替えるようにとアリア「私はフランドルにいました」を歌い、カルロスを奮い立たせる。カルロスも「我が仲間、我が友よ」を熱く歌い、新しい道に歩踏み出す決心をする。フランドルは新教徒が多いために、カトリック教のスペインは弾圧を続けていたのだった。父王の妃になってしまったエリザベートへの愛に苦しむ彼に罪深い恋を告白する。ロドリーグも「我が友よ」を返して歌い、戦いに加わることで愛の苦悩を忘れることを忠告する。2人は義兄弟の契りを結び、二重唱「神よ、あなたは我々の胸に」と誓い合う。その間に王フィリップ2世と王妃エリザベートが中庭を通り抜け、修道院へと入って行く。

 

第2場

修道院の前庭

修道院に入ることを許されていない付き人の女官たちが修道院の前庭に集まっている。その中に、美しさが際立つエボリ公女の楽しそうな姿も見受けられる。エボリ公女の密かにカルロス王子を慕っている。女声合唱が「葉の生い茂った木の下で」を歌う。ここでマンドリンに合わせて、エボリ公女によって歌われるムーア人の「ヴェールの歌」として有名な曲「妖精たちグラナダの王様たちの宮殿で」(「美しいサラセンの宮殿の庭に」)は、装飾音符が多くカデンツァがある難曲。途中から小姓デバルトとの二重唱となり、女官たちの合唱も加わり華やかなコンチェルタートとなる。エリザベートが登場すると、女官たちも静まる。そこへロドリーグが、拝謁を求めて使いを伴って来る。彼はフランス王室の母君からの手紙と一緒に、こっそりとカルロスからの書状を添えて手渡す。その手紙にはロドリーグを信頼するようにと書かれている。ロドリーグはエボリ公女と宮廷風の挨拶と会話を交わしながら、エリザベートが手紙を読むのを待っている。手紙を読み不安に苛まれる王妃にロドリーグは、静かにカンタービレのロマンス「我らの希望であるカルロス王子は」を歌い出し、カルロスが父に願いを聞き入れられず苦しみ新しい母に会いたがっていることを伝える。彼女は過去を思い出して悲しみに浸るのだが、傍らで聞いていたエボリ公女は、カルロスが自分への愛に苦しんでいると勝手に勘違いする。ロドリーグとエボリ公女が付き人たちと共に立ち去ると、王妃の前にカルロスが現れる。カルロスは王妃に自分をフランドルへ派遣するよう、王フィリップ2世に取り計らって欲しいと懇願し、二重唱「女王様のご温情を頂戴したく、」となる。しかし、ほどなく対話は愛の告白に変わる。エリザベートはアリア「私の足元で」歌い、彼女の愛情を伝える。我に返ったエリザベートはカルロスをさえぎり、二人が結ばれることは不可能だと言う。カルロスは芝生の上で気を失うが、やがて悲しみに打ちひしがれて立ち去り、ひとりになった王妃は泣き崩れ、神に助けを請う。突然王が姿をみせ、王妃から離れたかどで女官のアランベール伯爵夫人に明朝フランスへ帰るよう言い渡す。出発する女官に、エリザベートは優しい言葉で泣き出す婦人に別れの挨拶をする(ロマンス「泣かないで、わたしの友よ」)。王はロドリーグにその場に残るよう合図する。なぜ帰国後に一度も挨拶に来ないのかと質す。ロドリーグはフランドルの救い難いほどの状況を説明するが、王は冷酷にも政治による支配が必要だと答える。だがロドリーグは、それに明確に反対しフランドルには解放が必要であると率直に本音を口上する。王に追従するばかりの取り巻きの廷臣たちとは、心底誠実な彼の提言に驚くが、それでもロドリーグに対する信頼を抱く。一方で、大審問官の恐ろしい権力のことを思い出させ、大審問官には注意するようにと警告する。フィリップ2世は王妃と皇太子の仲が怪しいので、王妃への謁見の自由を与えるから、その仲を探るようにと命令する。ロドリーグは喜んで引き受け、二重唱「陛下、私はフランドルから参りました」で結ぶ。

 

第3幕

第1場

噴水のある王宮の庭園

祝典の行事が続いている。翌日にはフィリップ2世の戴冠式が執り行われることになっているのである。エキゾチックな嗜好を凝らした音楽が展開される、カスタネットに合わせて合唱が「なんて沢山の花々、なんて沢山の星たち」を歌う。エリザベートとエボリ公女を伴ってやってくる。エリザベートは祝典の行事に辟易し、仮面を交換し、場を立ち去る。 王妃の舞踏会「ラ・ペレグリーナ」 海で最も見事な真珠を宿す魔法の洞窟を見つけた漁師の逸話が踊られる。15分程度の曲だがバレエ部分はカットされることが通例であり、これらを耳にする機会はなかなかない。ラ・ペレグリーナは16世紀からスペインの王室に所有されていた由緒ある真珠のこと。 エリザベートからの逢引の手紙と信じて、カルロスはいそいそとやって来る。エボリが入ってくるが、エリザベートのマスクを着けている。それとは知らず彼は愛を告白してしまう。カルロスはヴェールをとって人違いだと誤解に気づくが、動揺を隠せない。エボリ公女は最初、彼の困惑の理由を取り違え、宥めようとしロドリーグと国王が密会して、皇太子のことを話していたと告げる。しかしエボリ公女は間もなくカルロスと王妃の関係を理解し、激しい嫉妬にかられて仕返しを決意する。ロドリーグが間に入って友人カルロスを弁護し、エボリ公女と脅すが効き目はない、三重唱「私の怒りを逃れてもむだです」。危険を察知したロドリーグはカルロスにフランドルからの文書を渡すように促す。

 

第2場

バリャドリッドの大聖堂の前にある大きな広場

 民衆が集まっており、国王を讃える大合唱「歓喜に溢れたこの幸福な日に」が聴かれる。葬送行進曲が鳴り響く中、宗教裁判所で有罪とされた異端者を火刑台に連行する修道僧がやって来る。聖堂の扉が開かれ、王と廷臣たちが入場すると、王が異端者の処刑を宣告する。すると喪服を着てあらわれたカルロスに先導された6人のフランドルの代表団が王の前にひれ伏し、祖国への正義を求め抑圧されているフランドルの民にお慈悲をと願う。だが王は彼らを反逆者と決めつけ、皇太子の介入を叱責する。するとカルロスは剣を抜いて、フランドルの救済を宣言する。この無礼な振る舞いに、王は不敬罪に当たるとし息子の武器を取り上げるよう命じるが、スペインの大公たちはドン・カルロスの前に怖気づき誰も王子に近づこうとしない。ロドリーグが間に入り、かろうじて直接の決闘は避けられる。だがロドリーグが、彼に剣を差し出せと求める。カルロスは一瞬驚くが、おとなしく剣を渡す。ロドリーグは剣を王に差し出す。その場で王はロドリーグに公爵の位を授ける。王は妃の手を取って退場する。廷臣たちもみなあとに続く、彼らは火焙りを見るため見物席につくと遠くに炎の輝きが見える。冒頭の合唱が壮大に再現される。天上からは救済の声が聞こえるのだった。

 

第4幕

マドリードの王宮の王の書斎

妃に一度も愛されたことがなく、今や息子にも裏切られた国王は、王として生きることの苦難について瞑想し、孤独にアリア「ひとり寂しく眠ろう」を歌い悲しみ吐露する。感情的な疎外感からの自己憐憫(弦楽器による執拗な音型の繰り返しを伴い「彼女は私を愛したことがない」という激しい感情の発露で頂点に達するアリオーソ)から死についての暗澹たる瞑想を経て自からの権力についての再認識し、最後には感情の高揚で終結するアリアとなっている。そこへ盲目の大審問官があらわれ、二重唱「私は王の御前にいるのか」となり、皇太子を死刑に処するよう求める。そして大審問官は進歩的な理想主義を掲げるロドリーグこそ、本当の異端者だといいその命を要求する。だが王は忠実な家臣の命は差し上げられぬと答えるので、大審問官は怒って私は王でさえ裁判所に引き出すことが出来るのだと言って、そのまま僧院へ戻る。ここで二人のバス歌手(政治権力と宗教権力の代表同士)によって権力闘争が繰り広げられる。そこへ突然王妃エリザベートが来て、宝石箱のひとつを盗まれたと駆け込んで来る。王妃の知らぬ間に、エボリ公女が王に渡していたのだが、その中にはカルロスの肖像画が仕舞われていた。王が宝石箱はここにあると言い、そこにカルロスの肖像が入っているのを示し、王妃の不倫を詰問する。彼女は決して自分は、汚れていないと反論するが、王は聞き入れようとはしない。彼女はその場に失神し、急を聞いてエボリとロドリーグが駆けつける。二人の介抱で王妃は意識を取り戻し、王はロドリーグを従えて退場する。するとエボリは王妃に、カルロスを愛する余りの嫉妬から、宝石箱を盗み出したと告白し、また国王に誘惑されて不倫の関係になったことも白状する。王妃はエボリ公女に、この国を離れるか、修道院へ行くように言って立ち去る。エボリは嫉妬と美貌の思い上がりから、こんな結果になったと、アリア「呪わしき美貌」を歌う。

 

第2場

ドン・カルロスの牢獄 

自分が悪者になり、カルロスには何の罪もないと手紙を書いて、裏切りの証拠をロドリーグが故意に残して置いて国王の目に触れるよう仕組んだのだった。そしてフランドルの民を皇太子が救ってくれるよう託して、彼自身は死ぬ決意をしている。ロマンス「私の最後の日」が歌われる。そのとき銃声が聞こえロドリーグは倒れ、すべては王妃に託してあると知らせる。火縄銃で肩を撃たれ、瀕死のロドリーグは2番目のロマンス「私は満ち足りて死んでいきます」を歌い、最後の息のうちにカルロスに別れを告げる。そして彼女が、サン・ジュストの修道院で待っているという。そこへやって来た王は、皇太子を許して剣を返す。これに続くロドリーグの亡骸を前にフィリップ2世が「ただ一人の英雄を失ってしまった」と悲痛なアリアを歌う。(『 レクイエム』の「ラクリモーサ(涙ながらの日)」の旋律が奏でられていることは興味深い。)すると皇太子の解放を求めて、民衆が暴徒化して城内になだれ込んで来る。このシーンの間にひとりの小姓が入ってきて群衆の間をすり抜けてカルロスに近づき、彼の肩にマントを投げるがこの小姓はエボリであった。この騒ぎは、エボリ公女がカルロスの命を救うために民衆を煽ったものだった。すると大審問官が登場して、神を守る国王を敬うよう厳かに命令すると、全員が平伏して国王を讃えるのだった。大審問官は跪いた民衆の只中で王に会うために近寄ってくる。エボリが王妃の足元に身を投げ出すと、王妃は赦しの証としてその手を彼女に差し伸べるのだった。

 

第5幕

サン・ジュストの修道院 夜 月明り

エリザベートがゆっくりと、物思いにふけりながら登場 彼女はカール5世の墓に近づいて跪く。皇太子を待つ王妃は、過ぎし日のフォンテンブローの森の思い出を懐かしむと、エリザベートに、少女時代の喜びとカルロスへの愛が蘇り、アリア「世のむなしさを知る神よ」を歌う。彼にロドリーグの遺言を伝え、新しい人生を歩ませるようとする。再会した恋人たちは最後の別れを告げる。「美しい夢を見ました」で王子はスペインを捨ててフランドルへ行き、自由のために戦うのだと伝える。続く二重唱は「天国で会いましょう」となり別れをお互いに確認する。そして天国で再会することを約束し、別れの悲しみをうたい上げ、「永遠にさらば」と二重唱になる。その場にフィリップ、大審問官及び審問所の役人たちが入って来て、二人を逮捕するよう衛兵に命令する。カルロスは身を守りつつカール5世の墓の方に戻って行くと扉が開き、修道士が現れる。カルロスを彼の腕の中に引き寄せマントで覆い隠すとカルロスを墓の中に引き入れる。エリザベートはそこへ倒れ、人々が驚愕するうちに幕が降りる。

 

プログラムとキャスト

イタリア語によるオペラ、イタリア語と英語の字幕付き
上演時間:約4時間30分、休憩2回あり

 

指揮者 | ヘンリク・ナナージ
演出 | クラウス・グート
舞台美術 | エティエンヌ・プリュス
衣装 | ペトラ・ラインハルト
照明 | オラフ・フリーゼ
映像 | ローランド・ホルヴァート
ドラマトゥルギー | イボンヌ・ゲバウアー

 

キャスト
フィリッポ II | イルダール・アブドラザコフ
ドン・カルロ | ピエロ・プレッティ
ロドリーゴ | ガブリエレ・ヴィヴィアーニ
大審問官 | アレクサンダー・ツィンバリュク
修道士 | ギオルギ・マノシュヴィリ
エリザベッタ・ディ・ヴァロワ | レイチェル・ウィリス=シェレンセン♭
エボリ姫 | バルドゥヒ・アブラハミャン
テバルド | マリア・クニニツカ #
レルマ伯爵 | イヴァン・ルアルディ ♮
王国の使者 | ヴァスコ・マリア・ヴァニョーリ ♮
天からの声 | デジレ・ジョーヴェ #
第一委員 | セバスティア・セラ #
第二委員 | ユンホ・キム #
第三委員 | マウリツィオ・ボーヴェ #
第四委員 | イグナス・メルニカス #
第五委員 | ジョヴァンニ・インパッリアッツォ ##
第六委員 | アンティモ・デッローモ ##

 

♭ サン・カルロ劇場でのデビュー
♮ サン・カルロ劇場の合唱団

#サン・カルロ劇場アカデミー / ## 元生徒

 

サン・カルロ劇場オーケストラと合唱団
合唱団指揮者 | ファブリツィオ・カッシ

 

サン・カルロ劇場のプロダクション、ラトビア国立オペラとバレエとの共同制作

サン・カルロ劇場 ナポリ

 

 

サン・カルロ劇場はイタリア・ナポリにある歌劇場で、劇場としてはヨーロッパで現役最古のものである。資金不足のため1874年-1875年のシーズンが中止された以外、定期公演が中止されたことがない点でも特筆される。

サン・カルロ劇場は、ナポリに劇場があることを望んだブルボン朝ナポリ王国の初代王カルロ によって建造された。開場は1737年11月4日、演目はピエトロ・メタスタージオ台本、ドメニコ・サッロ音楽のオペラAchille in Sciroであった。この時サッロはオーケストラの指揮も行い、幕間にはグロッサテスタの2つのバレエも演じられた。この劇場はその建築、金装飾、および豪華壮麗な青色(ブルボン家の色であった)の布張装飾で有名となった。

1816年2月12日、サン・カルロ劇場は火事により焼失するが、両シチリア王フェルディナンド1世の命により僅か10か月にして再建される。現在の建築はこの再建建築と基本的には同一であり、変化はヴェルディの提案したオーケストラ・ピットの設置(1872年)、電気照明の導入および中央シャンデリアの撤廃(1890年)、入口ロビー並びに楽屋棟の建築、に限られている。

1817年1月12日、再建された劇場はマイールの「パルテーノペの夢」(Il sogno di Partenope)で再オープンする。スタンダールはこの公演の2夜目を聴いており「ヨーロッパのどこにも、この劇場に比べ得るどころか、この劇場の素晴らしさの足許に及ぶところも存在しない。ここは人の目を眩惑し、ここは人の魂を狂喜させる」と書き記している。

1815年から1822年まで、ロッシーニはこのサン・カルロ劇場を含めたナポリ王国全ての王立オペラ劇場の劇場付作曲家・兼音楽監督であり、「オテロ」「湖上の美人」を含む9つのオペラがこの時期書かれた。

ジュゼッペ・ヴェルディもまたこの劇場と縁深い一人である。必ずしも彼の傑作とは言いがたいが、「アルツィラ」および「ルイザ・ミラー」はサン・カルロ劇場のために書かれた作品である。「仮面舞踏会」も本来はこの劇場のためのオペラだったが、スウェーデン国王が暗殺されるという筋書自体が王国であるナポリでは検閲で不許可とされ、舞台をアメリカ・ボストンに、初演地もローマに変更しての公演となった。

20世紀に入って、サン・カルロは革新的な支配人アウグスト・ラグーナを迎える。彼は1920年からの10シーズンをすべてワーグナー作品で開幕するという、当時のイタリアでは異例のプログラムを組み、またリッカルド・ザンドナーイ作曲、ガブリエーレ・ダンヌンツィオ脚本のオペラ「フランチェスカ・ダ・リミニ」などの新作オペラの初演にも熱心だった。

第二次世界大戦で大きな損害がなかったことも幸いして、サン・カルロ劇場は戦後いち早くイギリスへの引越公演(1946年)を行うなど、オペラ劇場としての機能を回復した。その革新的伝統は戦後も継続し、たとえばアルバン・ベルクの「ヴォツェック」のイタリア初演(1949年、カール・ベーム指揮)などが行われている。

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