秘密の結婚

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2幕の喜劇
作曲 ドメニコ・チマローザ
台本 ジョヴァンニ・ベルターティ、ジョージ・コールマン・ザ・オールドとデヴィッド・ギャリックの戯曲 秘密の結婚 に基づく

 

あらすじ

 

第1幕

第1場 ジェロニモ家のサロン

商人・ジェロニモの屋敷で、次女のカロリーナと使用人のパオリーノが秘密の結婚を果たし、一刻も早く公認の仲になりたいと語っていた。そこでパオリーノは、姉娘のエリゼッタとロビンソン伯爵を結婚させて、自分たちの結婚を認めさせようと考える。しかし、ロビンソン伯爵は妹のカロリーナの方に一目惚れしてしまう。

 

第2場 応接室

パオリーノはジェロニモの妹であるフィダルマに相談を持ちかけるが、フィダルマはパオリーノに気があったため、事態はさらに悪くなる。

 

第2幕

第1場 応接室

ロビンソン伯爵がエリゼッタと結婚しないと宣言したため、ジェロニモは怒り狂う。しかし、カロリーナを嫁にもらえるなら持参金は半分で良いと迫るロビンソン伯爵に、父・ジェロニモの心は揺れる。混乱のなか、フィダルマにまで言い寄られたパオリーノは卒倒し、フィダルマに介抱されているところをカロリーナに見られてしまう。誤解を解くため、短剣を取り出して命がけでパオリーノは愛を誓う。そして2人はついに駆け落ちを決心する。その一方で、姉のエリゼッタはロビンソン伯爵が自分に振り向かないことに腹を立て、叔母のフィダルマとともに邪魔者であるカロリーナを追い出そうと計画する。

 

第2場 サロン

パオリーノは夜中にカロリーナの部屋に忍び込んだ。何も知らないロビンソン伯爵もカロリーナの部屋に行こうとするが、見張っていたエリゼッタに見つかって部屋に引き返してしまう。怪しむエリゼッタは、聞こえてきた声にロビンソン伯爵とカロリーナが密会していると思い込み、2人に出て来るように叫ぶが、部屋から出てきたのはパオリーノだった。2人の結婚が明らかになり、ロビンソン伯爵はついにカロリーナを諦めてエリゼッタと結婚することを約束する。

プログラムとキャスト

イタリア語上演、日本語と英語の字幕付き
上演時間: 約3時間、休憩あり

 

指揮 | フランチェスコ・コルティ♭
演出と舞台美術 | ステファン・ブラウンシュヴァイグ♭
衣装 | ティボー・ヴァンクラエネンブレック♭
照明 | マリオン・ヒューレット♭

 

キャスト
ジェロニモ | セバスティà・セッラ (11, 13, 15) / ユンホ・キム (12, 14, 17)
エリゼッタ | アナスタシア・サガイダク (11, 13, 15) / タマール・オタナゼ (12, 14, 17)
カロリーナ | デジレ・ジョーヴェ (11, 13, 15) / マリア・クニグニツカ (12, 14, 17)
フィダルマ | アントニア・サルツァーノ (11, 13, 15) / サユミ・カネコ (12, 14, 17)
ロビンソン伯爵 | マウリツィオ・ボーヴェ (11, 13, 15) / アンティモ・デルロモ (12, 14, 17)
パオリーノ | フランチェスコ・ドメニコ・ドート (11, 13, 15) / スン・ティエンシュエフェイ (12, 14, 17)

 

♭ サン・カルロ劇場でのデビュー

 

サン・カルロ劇場リリック歌唱アカデミーのソリスト
サン・カルロ劇場オーケストラ

 

サン・カルロ劇場の新制作

サン・カルロ劇場 ナポリ

 

 

サン・カルロ劇場はイタリア・ナポリにある歌劇場で、劇場としてはヨーロッパで現役最古のものである。資金不足のため1874年-1875年のシーズンが中止された以外、定期公演が中止されたことがない点でも特筆される。

サン・カルロ劇場は、ナポリに劇場があることを望んだブルボン朝ナポリ王国の初代王カルロ によって建造された。開場は1737年11月4日、演目はピエトロ・メタスタージオ台本、ドメニコ・サッロ音楽のオペラAchille in Sciroであった。この時サッロはオーケストラの指揮も行い、幕間にはグロッサテスタの2つのバレエも演じられた。この劇場はその建築、金装飾、および豪華壮麗な青色(ブルボン家の色であった)の布張装飾で有名となった。

1816年2月12日、サン・カルロ劇場は火事により焼失するが、両シチリア王フェルディナンド1世の命により僅か10か月にして再建される。現在の建築はこの再建建築と基本的には同一であり、変化はヴェルディの提案したオーケストラ・ピットの設置(1872年)、電気照明の導入および中央シャンデリアの撤廃(1890年)、入口ロビー並びに楽屋棟の建築、に限られている。

1817年1月12日、再建された劇場はマイールの「パルテーノペの夢」(Il sogno di Partenope)で再オープンする。スタンダールはこの公演の2夜目を聴いており「ヨーロッパのどこにも、この劇場に比べ得るどころか、この劇場の素晴らしさの足許に及ぶところも存在しない。ここは人の目を眩惑し、ここは人の魂を狂喜させる」と書き記している。

1815年から1822年まで、ロッシーニはこのサン・カルロ劇場を含めたナポリ王国全ての王立オペラ劇場の劇場付作曲家・兼音楽監督であり、「オテロ」「湖上の美人」を含む9つのオペラがこの時期書かれた。

ジュゼッペ・ヴェルディもまたこの劇場と縁深い一人である。必ずしも彼の傑作とは言いがたいが、「アルツィラ」および「ルイザ・ミラー」はサン・カルロ劇場のために書かれた作品である。「仮面舞踏会」も本来はこの劇場のためのオペラだったが、スウェーデン国王が暗殺されるという筋書自体が王国であるナポリでは検閲で不許可とされ、舞台をアメリカ・ボストンに、初演地もローマに変更しての公演となった。

20世紀に入って、サン・カルロは革新的な支配人アウグスト・ラグーナを迎える。彼は1920年からの10シーズンをすべてワーグナー作品で開幕するという、当時のイタリアでは異例のプログラムを組み、またリッカルド・ザンドナーイ作曲、ガブリエーレ・ダンヌンツィオ脚本のオペラ「フランチェスカ・ダ・リミニ」などの新作オペラの初演にも熱心だった。

第二次世界大戦で大きな損害がなかったことも幸いして、サン・カルロ劇場は戦後いち早くイギリスへの引越公演(1946年)を行うなど、オペラ劇場としての機能を回復した。その革新的伝統は戦後も継続し、たとえばアルバン・ベルクの「ヴォツェック」のイタリア初演(1949年、カール・ベーム指揮)などが行われている。

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