連隊の娘

チケットを購入する
PreviousSEP 2027

 

2幕のオペラ・コミック
音楽:ガエターノ・ドニゼッティ
台本:ジャン=フランソワ・バイヤール、ジュール=アンリ・ヴェルノワ・ド・サン=ジョルジュ

 

あらすじ

 

第1幕

チロル地方の村。

アルペンホルンが山中に鳴り渡り、勇壮な小太鼓の連打に続いて「第21連隊の歌」のメロディが聞こえる序曲で始まる。山の遠くからフランス軍の大砲の音が聞こえる。村の女性たちが跪いてマリア像に祈りを捧げている。この戦争で旅の足止めをくっていたベルケンフィールド侯爵夫人と執事のオルタンシウスが山小屋に戻って来る。公爵夫人はフランス軍は山賊同様だと聞いていると言い、〈クープレ〉「我が一族の女性にとって」(Pour une femme de mon non)と歌う(この歌はイタリア語版ではカットされている)。そこへフランス軍が退却したとの連絡が届き民衆は安堵し、浮かれた気分になる。そこにフランス軍第21連隊が軍曹シュルピスに率いられ現れる。村人たちはフランス軍を恐れて逃げ去り、ベルケンフィールド侯爵夫人も小屋に隠れる。そこに第21連隊の酒保をしている軍服姿のマリーが現れる。マリーは幼い頃戦場でシュルピス軍曹に拾われ、この連隊の中で育てられた孤児だが、兵士たちのアイドルのような存在で、皆に可愛がられて育った。二人は〈太鼓の二重唱〉「戦いの最中に私は生まれた」(Au bruit de la guerre, J’ai reçu le jour !)を歌う。最近、落ち込み勝ちなマリーに軍曹が理由を尋ねると、マリーは以前崖から落ちかけたところを救ってくれたチロルの青年が忘れられないと言う。その時一人の青年が兵士たちに陣営の周りをうろついていて挙動不審だったので、捕まって連行されてきた。彼こそマリーの命の恩人トニオであり、彼もマリーを忘れられずに彼女の姿を追っていたため、スパイではないかと疑われたのだ。マリーの説得で疑いが晴れ、トニオも入隊することになる。マリーは皆に所望されて〈連隊の歌〉「誰もが知っている、誰もが口にする」(Chacun le sait, chacun le dit)を歌う。皆が去ると、二人はお互いの心のうちを語る〈愛の二重唱〉「僕の腕の中で君が」(Depuis l’instant où, dans mes bras)を歌う。二人は一度、この場を退場する。シュルピスが戻って来て、ベルケンフィールド侯爵夫人と会話を始める。夫人はシュルピスにベルケンフィールド城まで護衛してもらえないかと持ち掛ける。シュルピスが夫人の昔愛したロベール大尉のことを知っていることに驚く。夫人はシュルピスにその昔、妹がフランス人のロベール大尉と恋に落ち、女の子を生んだが、妹は死にたった一人の侯爵家の血縁の子も死んでしまったという。 シュルピス軍曹は侯爵夫人の名前がベルケンフィールドと聞き、ロベール大尉の名前と同じなので、びっくりする。連隊で育てたマリーこそが、死んだ夫人の妹とフランス軍人との間に生まれた娘であったことが判明する。ベルケンフィールド侯爵夫人はマリーを、貴族に相応しい教育をするために引き取るという。事実が知らされたマリーは皆との別れの辛さにマリーが拒むと、トニオが連隊の兵士と共に戻って来る。兵士たちはトニオが連隊に入ったことを告げると、トニオは「これでマリーと一緒にいられる」との喜びを表し、〈カヴァティーヌ〉「ああ!友よ、何とめでたい日々だろう」(Ah ! mes amis, quel jour de fête !)を歌う。シュルピスが皆に「マリーは侯爵家のお姫様であることが分かったから、ここを去らなければならない」と言うと兵士たちは落胆する。マリーは軍曹に説得されて、侯爵夫人とともにパリに行くことを決意する〈ロマンス〉「私は行かなければならない」(Il faut partir !)を歌い、皆とトニオに別れを告げる。トニオは「必ず君を迎えに行く」と約束をする。

 

第2幕

数カ月後のパリのベルケンフィールド伯爵夫人の館の客間

シュルピス軍曹も、3カ月ほど前に怪我をし、この家に世話になったが、人柄とマリーの信頼をかわれて、この家の執事として雇われている。ベルケンフィールド侯爵夫人はバイエルンの名家であるクラッケントルプ公爵家の甥と結婚させることに決めた。マリーはこの結婚を渋々受け入れたものの、乗り気ではない。ベルケンフィールド侯爵夫人の邸宅では、マリーが礼儀作法、バレーと稽古にいやいやながら取り組んでいるが、慣れない上流階級のしきたりにうんざりしているのだった。マリーが客間に入ってくると、公爵夫人のピアノ伴奏で歌のレッスンがはじまる。しかし、マリーは堅苦しい歌が気に入らず、笑いをこらえながら歌い始めるが、傍にいるシュルピスの忍び笑いに釣り込まれ、調子の良い、昔懐かしい〈連隊の歌〉の節になってしまう。夫人は何度も注意して歌い直させる。そのうち、マリーとシュルピスは〈連隊の歌〉を歌いながら部屋を歩き回る。夫人も最後には引き込まれて、つい一緒になって〈連隊の歌〉を歌ってしまうのだった。3人はマリーを淑女に育てるためにはまだ前途多難であると考え、〈3重唱〉「森の中に夜明けが訪れ」(Le jour naissait dans le bocage)を歌う。夫人とシュルピスが退場すると、一人になったマリーは楽しかった連隊での生活を思い出し、〈アリア〉「高い身分や豊かさなど」(Par le rang et par l’opulence,)を歌う。すると遠くから懐かしい連隊の行進曲が近づいて来るのが聞こえる。今や大尉に昇進したトニオと連隊がやって来る。皆は再会を喜び合う。マリーの発案で皆にワインが振舞われることになり、兵士たちはオルタンシウスと部屋を出ていく。マリー、トニオ、シュルピスが揃い、3人は〈3重唱〉「3人が揃った」(Tous les trois réunis)を歌う。侯爵夫人が戻って来て、トニオを見るとすぐに出ていくよう命じる。トニオはマリーへの想いを切々と訴える〈ロマンス〉「僕はマリーのそばに」(Pour me rapprocher de Marie)を歌う(この歌もイタリア語版ではカットされている)。伯爵夫人はトニオを追い出し、シュルピスを呼び寄せる。伯爵夫人はシュルピスにマリーが実は自分の子供であると告白し、マリーに自分の全財産を相続させるためにも、マリーとクラッケントルプ家との結婚を実現させたいのだと告げる。クラッケントルプ伯爵夫人の一行が到着し、婚約の手続きが始まるが、マリーはなかなか姿を現さない。侯爵夫人と甥はマリーの無礼を非難する。ようやくマリーが現れ、シュルピスから話を聞くとマリーは「お母様」と夫人に抱き着く。そこに庭から兵士たちがマリーを救い出そうとなだれ込んでくる。招かれていた貴族たちはマリーが連隊の酒保で働いていたことを知って眉をひそめる。マリーは孤児として連隊で育てられた自らの生い立ちを正直に告白し、それでも実母の意向に従いサインすると言う。マリーが結婚証明書に署名をしようとすると、ベルケンフィールド侯爵夫人は娘の正直な心に打たれて、ついにマリーとトニオの結婚を許す。クラッケントルプ伯爵夫人の一行は婚約の破談に立腹し、退場する。残った人々は「フランス万歳」(Salut à la France !)と叫び、二人を祝福する合唱で幕を閉じる。

プログラムとキャスト

フランス語のオペラ(イタリア語と英語のスーパーチャイト付き)
上演時間:約2時間40分、休憩あり

 

指揮者 | リッカルド・ビザッティ ♭
演出 | ダミアーノ・ミキエレット
美術 | パオロ・ファンティン ♭
衣装 | アゴスティーノ・カヴァルカ ♭
照明 | アレッサンドロ・カルレッティ
振付 | 後日発表
ドラマトゥルギー | マッティア・パルマ / マルテ・クラースティング ♭

 

出演者
マリー | プリティ・イエンデ
トニオ | ルジル・ガティン
サルピス | セルジオ・ヴィターレ
マルキーズ・ド・ベルケンフィールド | ソニア・ガナッシ
オルテンシウス | エウジェニオ・ディ・リエート
クラケントホルプ公爵夫人 | マリサ・ラウリート ♭
一等兵 | サルヴァトーレ・デ・クレシェンツォ ♮
農民 | イヴァン・ルアルディ ♮
公証人 | 後日発表

 

♭ サン・カルロ劇場初演
♮ サン・カルロ劇場合唱団

 

サン・カルロ劇場オーケストラと合唱団
合唱指揮者 | ファブリツィオ・カッシ

 

サン・カルロ劇場とバイエルン国立歌劇場の共同制作

サン・カルロ劇場 ナポリ

 

 

サン・カルロ劇場はイタリア・ナポリにある歌劇場で、劇場としてはヨーロッパで現役最古のものである。資金不足のため1874年-1875年のシーズンが中止された以外、定期公演が中止されたことがない点でも特筆される。

サン・カルロ劇場は、ナポリに劇場があることを望んだブルボン朝ナポリ王国の初代王カルロ によって建造された。開場は1737年11月4日、演目はピエトロ・メタスタージオ台本、ドメニコ・サッロ音楽のオペラAchille in Sciroであった。この時サッロはオーケストラの指揮も行い、幕間にはグロッサテスタの2つのバレエも演じられた。この劇場はその建築、金装飾、および豪華壮麗な青色(ブルボン家の色であった)の布張装飾で有名となった。

1816年2月12日、サン・カルロ劇場は火事により焼失するが、両シチリア王フェルディナンド1世の命により僅か10か月にして再建される。現在の建築はこの再建建築と基本的には同一であり、変化はヴェルディの提案したオーケストラ・ピットの設置(1872年)、電気照明の導入および中央シャンデリアの撤廃(1890年)、入口ロビー並びに楽屋棟の建築、に限られている。

1817年1月12日、再建された劇場はマイールの「パルテーノペの夢」(Il sogno di Partenope)で再オープンする。スタンダールはこの公演の2夜目を聴いており「ヨーロッパのどこにも、この劇場に比べ得るどころか、この劇場の素晴らしさの足許に及ぶところも存在しない。ここは人の目を眩惑し、ここは人の魂を狂喜させる」と書き記している。

1815年から1822年まで、ロッシーニはこのサン・カルロ劇場を含めたナポリ王国全ての王立オペラ劇場の劇場付作曲家・兼音楽監督であり、「オテロ」「湖上の美人」を含む9つのオペラがこの時期書かれた。

ジュゼッペ・ヴェルディもまたこの劇場と縁深い一人である。必ずしも彼の傑作とは言いがたいが、「アルツィラ」および「ルイザ・ミラー」はサン・カルロ劇場のために書かれた作品である。「仮面舞踏会」も本来はこの劇場のためのオペラだったが、スウェーデン国王が暗殺されるという筋書自体が王国であるナポリでは検閲で不許可とされ、舞台をアメリカ・ボストンに、初演地もローマに変更しての公演となった。

20世紀に入って、サン・カルロは革新的な支配人アウグスト・ラグーナを迎える。彼は1920年からの10シーズンをすべてワーグナー作品で開幕するという、当時のイタリアでは異例のプログラムを組み、またリッカルド・ザンドナーイ作曲、ガブリエーレ・ダンヌンツィオ脚本のオペラ「フランチェスカ・ダ・リミニ」などの新作オペラの初演にも熱心だった。

第二次世界大戦で大きな損害がなかったことも幸いして、サン・カルロ劇場は戦後いち早くイギリスへの引越公演(1946年)を行うなど、オペラ劇場としての機能を回復した。その革新的伝統は戦後も継続し、たとえばアルバン・ベルクの「ヴォツェック」のイタリア初演(1949年、カール・ベーム指揮)などが行われている。

類似したイベント