《カルメル会修道女の対話
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《カルメル会修道女の対話 (Dialogues des Carmélites)》 | フランシス・プーランク
《カルメル会修道女の対話》は20世紀の音楽劇の偉大な傑作のひとつです。1957年に初演され、当初は一定の成功を収めましたが、その内容が反動的であると見なされたため、数十年間批評家たちはその重要性を過小評価していました。一方で音楽は伝統的な調性に従っていますが、巧妙な技巧と和声の変化が見られ、また台本はジョルジュ・ベルナノスの脚本に基づき、恐怖政治の時代の実話を描いています:1794年、コンピエーニュで16人の修道女が「反革命的集会を開いた」として断頭台に送られましたが、実際には存在しているという理由だけで処刑されました。
それぞれの修道女は独自の方法で生と死を考察しており、彼女たちの対話は真の哲学的物語を形成しています。中には最後の瞬間に迷い、疑念を抱く者もいれば、当初は弱く修道院生活に不向きだった者が、最後には堂々と処刑に立ち向かう者もいます。台本は場面ごとに軽快で多様性に富み、フランシス・プーランクはほとんど比類のない力強さと感情的深みを持って音楽を付けています。
宗教的修道会の厳格さは、ほぼ無装置の舞台でドラマの核心に迫るロバート・カーセンによる伝説的な演出に対応しています。オーケストラはカナダ系フランス人のイヴ・アベルが指揮し、キャストには最近のマスネ作《マノン》での勝利の演技後、テアトロ・レージョに戻るエカテリーナ・バカノワが出演します。
あらすじ
第1幕
第1場
ド・ラ・フォルス侯爵の書斎。 書斎でうたた寝していたド・ラ・フォルス侯爵は、騎士ド・ラ・フォルスから、ブランシュの乗る馬車が群衆に取り囲まれて身動きできないとの知らせを聞き、ブランシュの身を案じていた。程なくしてブランシュは戻り侯爵は安堵するが、ブランシュはコンピエーニュの修道院へ入りたいと言い出す。
第2場
カルメル会修道院の応接間。 数週間後、ブランシュは、修道院長のクロワシー夫人に修道院へ入れて欲しいと頼む。修道院長は、修道院は世俗の危険から逃れるために入るものではないと咎めるが、ついにはブランシュを受け入れることにした。
第3場
修道院内。 ブランシュは、いつも明るい修道女コンスタンスに対し、修道院長が病身なのに不謹慎だと責める。コンスタンスは、修道院長のためならこの身を捧げても良いと返し、さらに、自分とブランシュが若くして同じ日に死ぬ夢を見たと語った。
第4場
修道院の病室。 死に瀕した修道院長は修道女長マリーを呼び、ブランシュを支えるよう頼んだ。入ってきたブランシュにも直接諭すが、ブランシュが退出した直後、修道院長は病の苦痛に耐えきれず錯乱する。ブランシュが再び入ってきたとき、修道院長は正気を取り戻し、そのまま亡くなっていった。
第2幕
第1場
礼拝堂。 ブランシュとコンスタンスは修道院長の棺の守番をしていた。時間が来て、コンスタンスは交代を呼びに礼拝堂を離れる。ブランシュは怖くなって扉へ向かうが、出くわしたマリーに棺から離れないよう咎められた。
幕前劇
修道院の庭。 ブランシュとコンスタンスは、修道院長の墓を花で飾り付けながら、次の修道院長に誰がなるか話をしていた。続けて、コンスタンスは、修道院長がなぜあんなに苦しんで亡くなったのか思案し、おそらく修道院長は他人の苦しみを身代わりに引き受けたのだろうと結論した。
第2場
参事会室。 リドワーヌ夫人が新しい修道院長に選ばれた。新修道院長は就任の挨拶をし、今後も神に祈りを捧げ続けるよう修道女らに語った。
幕前劇
修道院の廊下。 騎士ド・ラ・フォルスが、ブランシュを連れて国外へ逃げるために修道院を訪れた。修道院長はマリーの立ち会いの下、面会を許可した。
第3場
面会室。 騎士ド・ラ・フォルスは、父も心配していると告げてブランシュを連れ出そうと説得するが、ブランシュは、修道院に留まることを選んだ。騎士ド・ラ・フォルスが去った後、ブランシュは弱音を口にし、マリーの励ましを受けた。
第4場
聖具室。 政府によって聖務は禁じられた。修道院でミサを取り仕切った司祭は、修道院から離れ身を隠すことにした。修道女らは不遇を嘆き、マリーは殉教こそが国に信仰を取り戻す道と語るが、修道女長は殉教すべきでないと説く。 司祭が群衆に追われて修道院に戻ってきた。群衆は、修道院の門を開けるよう叫び声を上げる。修道女たちはこれを防ごうとするが、結局門を開けることとなった。群衆とともに修道院へ入ってきた役人は、修道院を解散させ建物を接収するとの命令を告げた。
第3幕
第1場
廃墟となった礼拝堂。 修道院長がパリへ行っている間、マリーの提案で殉教すべきか否かが無記名投票にかけられることとなった。反対票が1票だけあり、修道女たちはブランシュが投じたものと推測するが、意外なことに、反対票を投じたのはコンスタンスだった。しかし、コンスタンスは反対票を撤回すると宣言し、修道女たちは殉教することとなった。この間に、ブランシュは怖くなって修道院から逃げ出した。
幕前劇
修道院の外の通り。 戻ってきた修道院長以下、修道女たちは平服に着替える。役人からは、市民は常に見張っているとの警告を受けた。
第2場
旧ド・ラ・フォルス侯邸の書斎。 ブランシュは、群衆に占拠されたかつての自宅で、メイドとして働いていた。ある日マリーがやってきて、もっと安全な場所があると教え、ブランシュに住所を伝えるが、ブランシュは、ここが一番安全だと主張して、動こうとしなかった。
幕前劇
バスティーユ近くの路上。 ブランシュは、コンピエーニュのカルメル会修道院の修道女たちが逮捕されたという噂を耳にした。
第3場
コンシェルジュリ監獄。 修道女たちは、牢獄で過ごす初めての夜を迎えていた。修道院長は、何者も信仰を奪うことはできないと説き、また、自分も殉教の誓いに加わると宣言する。コンスタンスは、ブランシュが牢獄にいないことに気づくが、最後には必ずやってくると確信していた。 役人が牢獄に入ってきて、修道女たちが革命を転覆する企てをしたとして、その全員を死刑にすると宣告した。
幕前劇
バスティーユ近くの路上。 マリーは、修道女たちが死刑になると司祭から聞き、自分も殉教すべく刑場へ向かおうとするが、司祭から、あなたは命を長らえることが神の思し召しに従う道だと説かれる。
第4場
革命広場。 修道女たちは、「サルヴェ・レジーナ」を歌いながら処刑台へ向かい、一人ずつギロチンにかけられる。コンスタンスが最後の一人として処刑台に立ったとき、ブランシュが刑場に現れた。ブランシュは、コンスタンスがギロチンにかけられて途絶えた歌を引き継ぎ、「来たり給え、創造主なる聖霊よ」を歌いながら、コンスタンスと同じ日に命を喪った。
プログラムとキャスト
イタリア語/フランス語字幕
三幕十二場のオペラ
作曲:フランシス・プーランク
台本:フランシス・プーランク
ジョルジュ・ベルナノスの戯曲に基づく(エメット・ラヴェリーによる許可された翻案、ゲルトルート・フォン・レ・フォルトの物語およびブラッカーバーガー神父とフィリップ・アゴスティーニによる脚本に基づく)
世界初演:
ミラノ、スカラ座、1957年1月26日
キャスト:
イヴ・アベル – 指揮
ロバート・カーセン – 演出・照明
クリストフ・ガイラル – 演出再演
マイケル・レビン – 美術
ファルク・バウアー – 衣裳
フィリップ・ジロー – 振付
ベッティナ・ヒンタレーガー – 衣裳助手
コール・ヴァン・デン・ブリンク – 照明助手
ウリッセ・トラバッキン – 合唱指揮
テアトロ・レージョ・ディ・トリノ管弦楽団・合唱団
舞台制作:オランダ国立歌劇場・バレエ団
トリノ王立劇場
トリノ・レージョ劇場 (Teatro Regio di Torino) は、現存する最も古いオペラ劇場の一つです。その起源は 1740年 にさかのぼり、サヴォイア宮廷の壮麗な劇場として開場しました。建築家 ベネデット・アルフィエーリ によって革新的な設計で建てられ、当時の グランドツアー の重要な訪問先となりました。約2世紀の連続した活動の後、5層のボックス席を持つ「イタリア式」劇場は、1936年2月8日から9日にかけての夜 に発生した大火災で焼失しました。
火災にもかかわらず、レージョ劇場のプログラムは中断されず、市内の他の劇場で上演が続けられ、現在の建物の開場まで続きました。建築家 カルロ・モリーノ の天才的な設計により、世界で唯一無二の劇場として 1973年 に開場し、ヴェルディの I Vespri siciliani が マリア・カラス と ジュゼッペ・ディ・ステファノ の唯一の演出で上演されました。
一つの劇場、多彩な提案
Teatro Regio は、数多くのオペラ、バレエ、ミュージカルを含む豊かな オペラ・バレエシーズン を提供しています。主なシーズンに加えて、オーケストラ、合唱団、子供合唱団を含むシンフォニック、合唱、室内音楽のコンサート;学校や家族向けの Piccolo Regio Puccini 上演;講義、ガイド付きツアー、展示会、トリノ市や MITO SettembreMusica などの団体との特別イベントも開催されます。これらすべてが、Teatro Regio を トリノ、ピエモンテ地方、さらにはその先 の文化・芸術活動の中心に位置付けています。
アクセス方法
電車: Porta Susa および Porta Nuova 駅からタクシーで10分、徒歩で約20分。
車: 主なアクセス道路は高速道路 A4, A5, A32, A6, A21、それぞれ中心部への出口あり。劇場近くに有料駐車場あり。
トリノでは 交通制限区域(ZTL) があり、月~金の7:30~10:30は市中心部への車の進入が禁止されています。
公共交通機関:
最寄りのバス停: Castello(13, 15, 55, 56系統)、Garibaldi(4, 11, 27, 51, 57, Star2系統)
最寄りの地下鉄駅: Porta Nuova および Porta Susa (XVIII Dicembre)

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