ジゼル
NOV 2025 | ||||||
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ジュール=アンリ・ヴェルノワ・ド・サン=ジョルジュとテオフィル・ゴーティエによる2幕のバレエ
音楽:アドルフ・アダン
あらすじ
演出により相違があるが、現在上演されている版のあらすじは概ね次のような内容である
第1幕
中世ドイツの村。病弱だが踊りが好きな村娘ジゼルは、青年ロイスと恋仲である。このロイスは、実は身分を偽ったシレジア公爵アルブレヒトである。ジゼルに思いを寄せる森番のヒラリオンは、ロイスの正体に疑念を抱く。
村ではブドウの収穫祭が行われており、収穫祭の女王に選ばれたジゼルは村人たちと踊る。ジゼルの母ベルタは娘を案じ、「踊りに夢中になっていると、死後に精霊ウィリとなって踊り続けることになる」という伝説を語る。
領主クールランド大公とその娘バチルドらが、狩りのために村を訪れる。バチルドはアルブレヒトの婚約者である。そこへヒラリオンが現れ、ロイスが貴族であることを暴露する。恋人の裏切りを知ったジゼルは、衝撃のあまり正気を失い、息絶えてしまう。
第2幕
ジゼルの墓がある夜の森。女王ミルタに率いられたウィリたちが現れ、ジゼルを墓から呼び出して仲間に迎え入れる。
ヒラリオンとアルブレヒトは、それぞれジゼルの墓参りにやってくる。ヒラリオンはウィリたちに捕まり、踊らされた上で命を落としてしまう。アルブレヒトもミルタの命で踊らされるが、ジゼルはアルブレヒトの命を守ろうとする。やがて夜明けが訪れ、ウィリたちは消え去る。ジゼルも姿を消し、墓の前にアルブレヒトが一人残される。
プログラムとキャスト
上演時間: 約2時間10分、休憩あり
指揮者 | マウリツィオ・アゴスティーニ
振付 | パトリシア・ルアンヌ
再演 | フレデリック・ヤン
舞台美術 | ラッファエーレ・デル・サヴィオ
衣装 | ジューシ・ジュスティーノ
照明 | ヌンツィオ・ペレッラ
サン・カルロ劇場のプロダクション
サン・カルロ劇場のオーケストラ、エトワール、ソリスト、バレエ団
バレエ部門ディレクター | クロティルド・ヴァイエル
パトリシア・ルアンヌへのオマージュ
サン・カルロ劇場 ナポリ
サン・カルロ劇場はイタリア・ナポリにある歌劇場で、劇場としてはヨーロッパで現役最古のものである。資金不足のため1874年-1875年のシーズンが中止された以外、定期公演が中止されたことがない点でも特筆される。
サン・カルロ劇場は、ナポリに劇場があることを望んだブルボン朝ナポリ王国の初代王カルロ によって建造された。開場は1737年11月4日、演目はピエトロ・メタスタージオ台本、ドメニコ・サッロ音楽のオペラAchille in Sciroであった。この時サッロはオーケストラの指揮も行い、幕間にはグロッサテスタの2つのバレエも演じられた。この劇場はその建築、金装飾、および豪華壮麗な青色(ブルボン家の色であった)の布張装飾で有名となった。
1816年2月12日、サン・カルロ劇場は火事により焼失するが、両シチリア王フェルディナンド1世の命により僅か10か月にして再建される。現在の建築はこの再建建築と基本的には同一であり、変化はヴェルディの提案したオーケストラ・ピットの設置(1872年)、電気照明の導入および中央シャンデリアの撤廃(1890年)、入口ロビー並びに楽屋棟の建築、に限られている。
1817年1月12日、再建された劇場はマイールの「パルテーノペの夢」(Il sogno di Partenope)で再オープンする。スタンダールはこの公演の2夜目を聴いており「ヨーロッパのどこにも、この劇場に比べ得るどころか、この劇場の素晴らしさの足許に及ぶところも存在しない。ここは人の目を眩惑し、ここは人の魂を狂喜させる」と書き記している。
1815年から1822年まで、ロッシーニはこのサン・カルロ劇場を含めたナポリ王国全ての王立オペラ劇場の劇場付作曲家・兼音楽監督であり、「オテロ」「湖上の美人」を含む9つのオペラがこの時期書かれた。
ジュゼッペ・ヴェルディもまたこの劇場と縁深い一人である。必ずしも彼の傑作とは言いがたいが、「アルツィラ」および「ルイザ・ミラー」はサン・カルロ劇場のために書かれた作品である。「仮面舞踏会」も本来はこの劇場のためのオペラだったが、スウェーデン国王が暗殺されるという筋書自体が王国であるナポリでは検閲で不許可とされ、舞台をアメリカ・ボストンに、初演地もローマに変更しての公演となった。
20世紀に入って、サン・カルロは革新的な支配人アウグスト・ラグーナを迎える。彼は1920年からの10シーズンをすべてワーグナー作品で開幕するという、当時のイタリアでは異例のプログラムを組み、またリッカルド・ザンドナーイ作曲、ガブリエーレ・ダンヌンツィオ脚本のオペラ「フランチェスカ・ダ・リミニ」などの新作オペラの初演にも熱心だった。
第二次世界大戦で大きな損害がなかったことも幸いして、サン・カルロ劇場は戦後いち早くイギリスへの引越公演(1946年)を行うなど、オペラ劇場としての機能を回復した。その革新的伝統は戦後も継続し、たとえばアルバン・ベルクの「ヴォツェック」のイタリア初演(1949年、カール・ベーム指揮)などが行われている。