スーラ・アンジェリカ囚人
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プログラムとキャスト
三年計画「Trittico ricomposto」の第三部
作曲家の死去100周年を祝うために、トッレ・デル・ラーゴのプッチーニ・フェスティバルとの共同制作。
指揮者: Michele Mariotti
演出家: Calixto Bieito
合唱指揮者: Ciro Visco
セットデザイナー: Anna Kirsch
衣装デザイナー: Ingo Krügler
照明: Michael Bauer
スーラ・アンジェリカ
音楽: ジャコモ・プッチーニ
1幕のオペラ
台本: ジョヴァッキーノ・フォルツァーノ
キャスト:
Suor Angelica: Corinne Winters / Yolanda Auyanet, 4月24日、27日
La Zia Principessa: Marie-Nicole Lemieux
La badessa: Annunziata Vestri
イル・プリジョニエロ
音楽: ルイージ・ダッラピコラ
1プロローグと1幕のオペラ
台本: ルイージ・ダッラピコラ
ヴィリエ・ド・リル・アダムの「希望による拷問」から、
シャルル・ド・コステの「ウレンスピゲルとラム・ゴットザックの伝説」に基づく
キャスト:
La Madre: エカテリーナ・セメンチュク
Il Prigioniero: マッティア・オリヴェーリ
Il carceriere/Il grande Inquisitore: ジョン・ダザック
ローマ歌劇場のオーケストラと合唱団
ローマ歌劇場の新制作
ローマ歌劇場
ローマ歌劇場(Teatro dell'Opera di Roma)は、イタリア・ローマにある歌劇場。1880年11月に開場したコスタンツィ劇場がその前身である。数度にわたる名称の変遷、改修工事を経て、現在は総席数約1,600の歌劇場である。ローマ・オペラ座とも訳される。
歴史
ローマ歌劇場の前身である「コンスタンツィ劇場」の名前はこの劇場を建てた施主、ドミニコ・コンスタンツィに由来します。彼は私財をもってこの劇場を計画し、設計をミラノの劇場建築家アキーレ・スフォンドリーニに委嘱しました。かつてはローマ皇帝ヘリオがバルスの邸宅があった用地に新劇場は18ヶ月で完成し、1880年11月27日、ロッシーニ「セミラーミデ」の上演で開場しました。
ドメニコ・コンスタンツィはこの歌劇場を自ら運営し、経済的困難はあったものの、数多くの世界初演を行うことができました。その代表が、1890年、マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の大成功でした。ドメニコの死後、その息子エンリコ・コンスタンツィが運営を引き継ぎ、1900年1月14日、プッチーニ「トスカ」の初演を挙行しました。
1907年にコンスタンツィ劇場は支配人ヴァルター・モッキ率いるSTINに買収され、1912年から1925年まではモッキの妻であるソプラノ歌手、エンマ・カレッリを支配人として興行が行われました。
その後、1926年11月にコンスタンツィ劇場はローマ市庁によって買収され、王室歌劇場と改称されました。建築家マルチェッロ・ピアチェインティーニの設計による部分改築が行われ、15ヶ月の休場の後、1928年2月27日、ボーイトの「ネローネ」によって再開場しました。
首都ローマの豪壮な都市計画を進行していたムッソリーニのファシスト政権はこの王室歌劇場も精力的に梃入れしました。大恐慌の影響でニューヨーク・メトロポリタン歌劇場を離れイタリアに帰国した名歌手を集結させ、名指揮者トゥリオ・セラフィンを音楽監督に戴いて、同劇場はミラノ・スカラ座に比肩し得る黄金時代を築きました。
1937年からはローマ市内にある古代ローマ時代の公衆浴場遺跡、カラカラ浴場での野外公演も夏季シーズンに開催されるようになりました。
第二次世界大戦後、王制から共和政への政体変化に伴い、歌劇場はローマ歌劇場と再改称された。1958年にはローマ市庁によって更なる改修・近代化が行われました。
現在の総席数は約1,600。
ローマ歌劇場へのアクセス
住所:Piazza Beniamino Gigli, 7
地下鉄 Linea A 停車駅:REPUBBLICA TEATRO DELL'OPERA
バス
Via Nazionale - H, 40, 60, 64, 70, 71, 170, 116T
Via Depretis - 70, 71
Via Cavour - 16, 75, 84, 150 (festivo), 360, 590, 649, 714
Stazione Termini - 16, 38, 75, 86, 90, 217, 310, 360, 649, 714
TAXI
電話番号:- 06,3570