チャールダーシュの女王 ウィーンオペレッタ
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エメリッヒ・カールマン作オペレッタ
ドイツ語、ドイツ語と英語の字幕付き
チャールダーシュの女王
作曲:エメリッヒ・カールマン
台本:レオ・シュタイン&ベーラ・イェンバッハ
あらすじ
第1幕
レオポルト・マリア侯爵の息子エドウィンは、歌手のシルヴァと愛し合っている。エドウィンは、アメリカ公演に旅立とうとするシルヴァに公証人をたてて結婚誓約書を書くが、エドウィンの両親はいとこのシュタージとの婚約を決めてしまう。
第2幕
エドウィンとシュタージの婚約披露宴にアメリカ帰りのシルヴァがボニ伯爵夫人と偽って現れる。エドウィンとシルヴァは互いの愛を確かめる。一方、ボニとシュタージも愛し合うようになる。エドウィンはシルヴァとの結婚を宣言するが両親に反対される。
第3幕
エドウィンの母親である侯爵夫人も昔歌手だったことが明らかになり、結婚に反対できなくなり、ハッピーエンド。
プログラムとキャスト
指揮者: トビアス・ヴェーゲラー
舞台監督: ヨハネス・エラト
セットデザイン: ベルンハルト・ハマー
ビデオ: ビビ・アベル
衣装デザイン: ゲジーネ・フォルム
振付: マイルズ・ホーア
合唱指揮者: ロジャー・ディアス・カハマルカ
照明デザイン: ニコル・フングスベルク
エドウィン・ロナルド: ダニエル・シュムッツハルト
アナスタシア・エッゲンベルク伯爵夫人、姪: ジュリエット・カリル
オイゲン・バロン・ローンスドルフ、中尉、甥: ルーカス・ヴァッツル
ボニ・カンチアーヌ伯爵: ヤコブ・セモタン
フェレンツ・リッター・ケレケス、通称「フェリ・バチ」: フロリアン・カロヴェ
フェレンツ・リッター・ケレケス、通称「フェリ・バチ」: マルコ・ディ・サピア
フェレンツ・リッター・ケレケス、通称「フェリ」 bácsi": カール=ミヒャエル・エブナー
Ferenc Ritter Kerekes、通称「Feri bácsi」: ダニエル・オーレンシュレーガー
Ferenc Ritter Kerekes、通称「Feri bácsi」: クルト・シュライブマイヤー
Sylva Varescu、シャンソネット: アネット・ダッシュ
フォルクスオーパー・ウィーン
フォルクスオーパーへのアクセス
地下鉄:U6
トラム:40 、 41 、 42
バス:40A
停車駅:ヴェーリンガーシュトラッセ/フォルクスオーパー(Währinger Straße/Volksoper)
タクシー乗り場は環ヴェーリンガーギュルテル(Währinger Gürtel・環状道路)沿いに位置しています。
又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機していますので、ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。
フォルクスオーパーについて
ウィーン・フォルクスオーパーはウィーンでは国立歌劇場についで2番目に大きな歌劇場で、オペレッタ、オペラ、ミュージカル、バレエなど洗練された軽音楽が上演されます。
毎年9月から6月迄のシーズン内に約300公演、35演目が上演され、オペラ「魔笛」「トゥーランドット」、ミュージカル「マイ・フェア・レディー」、バレエ「真夏の世の夢」を始め、多大なレパートリーを誇ります。そして、何と言っても「こうもり」「メリー・ウィドー」「チャルダッシュの女王」「ワルツの夢」他、ウィーン特有のオペレッタはフォルクスオーパーの最も得意ジャンルとして常に生きる喜びに溢れた舞台音楽を堪能できます。
歴史
1898年、当時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の即位50周年を記念し、建築家のフランツ・フライヘア・フォン・クラウスとアレクサンダー・グラフによって建設され、同年12月14日に開館しました。
1906年にはアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーが初代指揮者に就任。1907年に「トスカ」、1910年に「サロメ」が初めて上演され、世界的に有名な歌手であるマリア・イェリッツァやリヒャルト・タウバーなどが出演しました。
第一次世界大戦の時代、フォルクスオーパーはウィーン第2の歌劇場としての地位を守っていましたが、1928年に経営が悪化し倒産、翌年1929年からはオペレッタを主な演目としました。
第二次世界大戦終盤の数ヶ月はしないで2番目に大きな1,550席の映画館として使用されていましたが、終戦後、空襲で壊滅的な打撃を受けたウィーン国立歌劇場の代替役をアン・デア・ウィーン劇場とともにしばらく担っていました。
1955年に国立歌劇場が再オープンしてからは再び、オペラ、オペレッタ、ミュージカルなどの公演に復帰しますが、1991年9月より再度国立歌劇場に属し、出演歌手などが両方の劇場に所属するといった状態になっていましたが、1966年より独立。