ナブッコ
JAN 2026 | ||||||
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テミストクレ・ソレラ作、四幕の抒情劇
ジュゼッペ・ヴェルディ作曲
ナブッコ Nabucco
作曲:ジュゼッペ・ヴェルディ
初演:1842年3月9日 ミラノ・スカラ座
台本:旧約聖書を素材にトミストークレ・ソレラの書き下ろし
あらすじ
時と場所:紀元前568年~593年/バビロン
第1幕:エルサレム
エルサレムのソロモンの神殿、ヘブライ人やその神官たちが、バビロニア軍の侵略に怯えている。だが大司祭のザッカリアは、バビロニアの王女、フェネーナを人質にとっているから安心せよと説く。ヘブライ王の甥イズマエーレがあらわれ、敵が城下に迫って来たと告げる。するとザッカリアは、フェネーナをイズマエーレに預けて去る。2人きりになった両人は、お互いに以前から惹かれ合っていたと告白する。そのときフェネーナの姉アビガイレが、バビロニアの兵士を率いてあらわれ、既にエルサレムの神殿は占領されたと宣告し、もし自分を愛してくれるなら、あなたの民を救うことも出来ると、そっとイズマエーレに告げるが、彼はにべもなく拒絶するのだった。ヘブライ人たちは、バビロニアの兵士に追われて来る。そして遂にバビロニアの王ナブッコが、神殿の前に馬を進めて来たのである。するとザッカリアは、フェネーナに短剣を突きつけて、もし我々の神殿を汚すのなら、お前の娘の命はないと脅迫する。だが突然イズマエーレが飛び出して、彼女を間一髪で助ける。それを確かめたナブッコは、神殿と町の両方を徹底的に破壊しろと命令するのだった。
第2幕:背信
ナブッコの宮殿。アビガイレは実は奴隷の子だったこと、また王はフェネーナに、皇位を継承させようとしているのを知って怒り、アリア「かつて私の心も喜びに満ちていた」をうたう。そこへ祭司長があらわれ、フェネーナがヘブライ人たちを釈放しているが、それを止めるようにと願い出る。また祭司長は自分が、王は戦いに敗れたと風説を広めて置いたので、民衆はあなたが王位に就くのを求めていると、アビガイレに語りかけるので、それを聞いた彼女は権力への野心に燃える。ザッカリアは、神に奇跡を行なわせ給えと祈る。
彼はその後、フェネーナの部屋に入って行く。
レビの神官たちが集まり、ザッカリアと入れ違いにやって来たイズマエーレに、裏切り者と激しくののしる。だがザッカリアが再び登場して、フェネーナがヘブライ教に改宗したから、彼は決して裏切り者ではないという。王の家来がやって来て、王は亡くなりヘブライ人は死刑になると告げる。するとアビガイレが祭司長を伴なって登場、フェネーナに王冠を返上しろと迫る。そのとき群衆の中から王のナブッコがあらわれ、王冠を奪い取って自分の頭に乗せ、この頭上から王冠を取ってみよと叫び、王位を奪おうとしたバビロニア人をののしり、ヘブライの神は敗れた、わしはお前たちの王であるばかりか、今や神になったのだと宣言する。するとそのとき凄まじい雷鳴が轟き、王の頭上を雷が直撃する。雷に撃たれたナブッコは錯乱状態になり、とうとうその場に倒れてしまう。ナブッコの頭からころげ落ちた冠を、アビガイレが拾って自分の頭にかぶせる。
第3幕:予言
バビロニア宮廷の屋上庭園。王座に就いたアビガイレに、祭司長がヘブライ教に改宗したフェネーナや、ヘブライ人たちを死刑に処するように、令状にサインするよう建策する。そこにうらぶれ果てたナブッコが姿をみせ、王座についているアビガイレをみて驚く。彼女は王様がご病気のあいだ、この王座を守っていましたといい、民衆がヘブライ人の死を望んでいるので、この書面にサインをといい、強引に王印を押させてしまう。だがフェネーナがヘブライ教に入信してしまったことを聞いて、実の娘の死刑宣告書に、王印を押してしまったのに気づいたナブッコは、アビガイレにお前は奴隷の子だというが、彼女は自分の懐からその証書を取り出して引き裂き、もうその証拠はないと反論する。そしてナブッコに、衛兵たちには王を牢獄へ連れて行けと、命じてあると冷たく言い渡す。傷心したナブッコは、涙ながらに娘を奪わないでくれと懇願するが、アビガイレはとり合うこともなく、この奴隷女の娘に跪くがいいと嘯く。そして死刑を告げるラッパの音が聞こえて来る。
場面はユーフラテス河畔に変わり、捕虜となったヘブライ人たちは、この河畔で強制労働を強いられている。そして彼らは故郷に帰れる日を待ち焦がれて神に祈っている。有名な合唱曲、「行け我が思いよ、金色の翼に乗りて」がうたわれる。そこへザッカリアが登場し、嘆く人々を励まし鼓舞する。嘆くでない、今にくびきの鎖は解き放たれ、バビロニアはいずこあったかも分からなくなるだろう。未来の闇の中にはっはり見えると、確信に満ちた予言を行なうのであった。
第4幕:偶像破壊
王宮の牢獄でナブッコは、永い眠りから醒める。外を見るとフェネーナが、刑場に引かれて行くのが見える。思わず戸を開けようとするが、びくともしないので愕然とする。アビガイレに、囚われの身になっているのを改めて気づいて、「ヘブライの神よ」とユダヤの神を冒涜したことを詫びる。アブダルロが部下の兵士を連れてやって来たので、自分はもう狂ってはいない、これから王座に行って、フェネーナを救うのだと叫んで、彼らを連れて出て行く。
場面は変わって再び、バビロニア宮廷の屋上庭園。葬送行進曲と祈り。死刑を宣告されたヘブライ人たちが、引き立てられて来る。フェネーナもそこへ引き出されるが、ザッカリアが優しく聖別の言葉を与えるので、彼女は晴れ晴れと「大空は開かれた」とアリアで、死の祭壇に向かって立ち上がる。そこへ馬に乗ったナブッコがあらわれ、死刑を止めさせると同時に、ベルの神の偶像を破壊することを命じる。すると偶像は不思議なことに、自然に崩れ落ちて一同は大いなる奇跡に驚き、偉大なるエホバの神を称える。そしてナブッコはヘブライ人たちに、エルサレムへ帰国することを許す。不利を悟ったアビガイレが駆けつけ、その場で毒薬を呷って、フェネーナに許しを乞うと同時に、ナブッコにイズマエーレとフェネーナは、互いに愛し合っているからと告げながら、自分は静かに息を引き取る。ザッカリアはナブッコに対して、「エホバの神に仕えるあなたこそ、王の中の王である。」と跪いて、ナブッコを称えながら、全曲の幕が閉じられる。
プログラムとキャスト
イタリア語のオペラ(イタリア語と英語の字幕付き)
上演時間:約3時間(休憩あり)
指揮 | リッカルド・フリッツァ
演出 | アンドレアス・ホモキ
舞台美術 | ヴォルフガング・グスマン
衣装 | ヴォルフガング・グスマン、スサナ・メンドーサ
照明 | フランク・エヴァン
キャスト:
ナブッコ | ルドヴィック・テジエ
イスマエーレ | ピエロ・プレッティ
ザッカリア | ミケーレ・ペルトゥージ
アビガイッレ | マリーナ・レベカ
フェネーナ | カッサンドラ・ベルトン
大祭司 | ロレンツォ・マッツチェッリ
アブダロ | フランチェスコ・ドメニコ・ドート #
アンナ | カテリーナ・マルケジーニ
サン・カルロ劇場オーケストラと合唱団
合唱指揮 | ファブリツィオ・カッシ
チューリッヒ歌劇場制作
♭ サン・カルロ劇場デビュー
サン・カルロ劇場アカデミー卒業生
サン・カルロ劇場 ナポリ
サン・カルロ劇場はイタリア・ナポリにある歌劇場で、劇場としてはヨーロッパで現役最古のものである。資金不足のため1874年-1875年のシーズンが中止された以外、定期公演が中止されたことがない点でも特筆される。
サン・カルロ劇場は、ナポリに劇場があることを望んだブルボン朝ナポリ王国の初代王カルロ によって建造された。開場は1737年11月4日、演目はピエトロ・メタスタージオ台本、ドメニコ・サッロ音楽のオペラAchille in Sciroであった。この時サッロはオーケストラの指揮も行い、幕間にはグロッサテスタの2つのバレエも演じられた。この劇場はその建築、金装飾、および豪華壮麗な青色(ブルボン家の色であった)の布張装飾で有名となった。
1816年2月12日、サン・カルロ劇場は火事により焼失するが、両シチリア王フェルディナンド1世の命により僅か10か月にして再建される。現在の建築はこの再建建築と基本的には同一であり、変化はヴェルディの提案したオーケストラ・ピットの設置(1872年)、電気照明の導入および中央シャンデリアの撤廃(1890年)、入口ロビー並びに楽屋棟の建築、に限られている。
1817年1月12日、再建された劇場はマイールの「パルテーノペの夢」(Il sogno di Partenope)で再オープンする。スタンダールはこの公演の2夜目を聴いており「ヨーロッパのどこにも、この劇場に比べ得るどころか、この劇場の素晴らしさの足許に及ぶところも存在しない。ここは人の目を眩惑し、ここは人の魂を狂喜させる」と書き記している。
1815年から1822年まで、ロッシーニはこのサン・カルロ劇場を含めたナポリ王国全ての王立オペラ劇場の劇場付作曲家・兼音楽監督であり、「オテロ」「湖上の美人」を含む9つのオペラがこの時期書かれた。
ジュゼッペ・ヴェルディもまたこの劇場と縁深い一人である。必ずしも彼の傑作とは言いがたいが、「アルツィラ」および「ルイザ・ミラー」はサン・カルロ劇場のために書かれた作品である。「仮面舞踏会」も本来はこの劇場のためのオペラだったが、スウェーデン国王が暗殺されるという筋書自体が王国であるナポリでは検閲で不許可とされ、舞台をアメリカ・ボストンに、初演地もローマに変更しての公演となった。
20世紀に入って、サン・カルロは革新的な支配人アウグスト・ラグーナを迎える。彼は1920年からの10シーズンをすべてワーグナー作品で開幕するという、当時のイタリアでは異例のプログラムを組み、またリッカルド・ザンドナーイ作曲、ガブリエーレ・ダンヌンツィオ脚本のオペラ「フランチェスカ・ダ・リミニ」などの新作オペラの初演にも熱心だった。
第二次世界大戦で大きな損害がなかったことも幸いして、サン・カルロ劇場は戦後いち早くイギリスへの引越公演(1946年)を行うなど、オペラ劇場としての機能を回復した。その革新的伝統は戦後も継続し、たとえばアルバン・ベルクの「ヴォツェック」のイタリア初演(1949年、カール・ベーム指揮)などが行われている。