フライング・ダッチマン
MAY 2025 | ||||||
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月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
上演時間:約2時間20分、休憩なし
言語:ドイツ語、チェコ語と英語の字幕付き
あらすじ
第1幕(第1ビルト)
舞台はノルウェーのフィヨルドに面した港町。ダラントは一時避難で自らの家のあるここに投錨する。すると遠くから、黒いマストに真紅の帆を立てた幽霊船が現れる。幽霊船の船長のオランダ人は「呪いを受け7年に一度上陸できるが、乙女の愛を受けなければ呪いは解かれず、死ぬことも許されずに永遠に海をさまよわなければならぬ」と嘆く。
ダラントはオランダ人から財宝を渡され、娘ゼンタと引き会わすことを約束してしまう。
第2幕(第2ビルト)
ゼンタはオランダ人と出会い、その不幸に心打たれ、救いたいと思う。ゼンタはオランダ人の肖像を見ては思いを募らすばかりである。しかし、ゼンタはエリックという青年に愛されている。
ゼンタは父とオランダ人に説得され、オランダ人につき従うことを約束する。
第3幕(第3ビルト)
第1幕の港町に再びオランダ人の幽霊船が現れる。オランダ人に会おうとするゼンタ。それを引き止めるエリック。オランダ人はエリックのゼンタへの愛を見て「裏切られた」と言い、帆をはり去っていく。ゼンタは自らの純愛を岩の上から叫び、貞節を証明するために海に身を投じる。ゼンタの純愛を得た幽霊船は呪いを解かれ、死を得て沈没する。そしてオランダ人とゼンタは浄化され昇天していく。
プログラムとキャスト
指揮: リチャード・ハイン
オランダ人:ヨアヒム・ゴルツ。 オラファー・シグルダーソン
センタ:ドロテア・ハーバート
メアリー:ヤナ・シコロヴァ
ダーランド:ズデニェク・プレヒ
エリック:ミハル・レホツキー。 アレシュ・ブリセイン
ダーランドの操舵手:ダニエル・マトウシェク
国立歌劇場合唱団
国立歌劇場管弦楽団
クリエイティブチーム
舞台監督 - オーレ・アンダース・タンベリ
セット - オーレ・アンダース・タンベリ; マルティン・チェルニー
衣装 - マリア・ゲーバー
ライトデザイン - オーレ・アンダース・タンベリ; オーサ・フランケンバーグ
合唱指揮者 - アドルフ・メリチャール
ドラマツルギー - ジトカ・スラヴィコヴァ
プラハ国立歌劇場
1883年、プラハのドイツ系住民がドイツ語の上演を求めて結成したドイツ劇場組合(Deutsche Theaterverein)により、1888年、歴史主義建築様式の劇場、新ドイツ劇場(Neues Deutsches Theater)が創立された。
初めの芸術監督ノイマン(Angelo Neumann)の後任にツェムリンスキーが、1925年から1929年の間には、後のウィリアム・スタインバーグ、ハンス=ヴィルヘルム・シュタインベルクが、後任としてジョージ・セル(音楽監督も兼任)もこの職に就き、それぞれがこの劇場で活躍した。歴代の楽長及び音楽監督には、グスタフ・マーラー、カール・ムック、レオ・ブレッヒ、オットー・クレンペラー、ジョージ・セルなど錚々たる顔ぶれが並ぶ。なお、建物としてではなく、当時の関係者の所属先として劇場を指す場合は、新が取れてドイツ劇場、プラハ・ドイツ劇場、または歌劇場と表記されるのが一般的である。
1938年9月25日、組合が撤退、この建物はチェコスロバキア国の所有となる。しかし1939年3月15日のドイツ軍のチェコスロバキアの占領、翌16日のヒトラーの布告によりプラハは保護領(ベーメン・メーレン保護領)となった。ドイツ・オペラハウス(Deutsches Opernhaus)と名付けられ、ナチ党の催しや国(ライヒ)の団体が客演した。
プラハ蜂起を記念した催しで演劇団体が上演-1945年5月5日『5月5日の劇場』。1947年から48年には劇場にオペラが戻る。1948年、『5月5日の大歌劇場』と名付けられ、この劇場は国民劇場の傘下となる。1949年に『スメタナ劇場』と改名し、1992年に現在の『プラハ国立歌劇場』となった。