ポントの王ミトリダテス
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三幕のオペラ・セリア
台本:ヴィットリオ・アメデオ・チーニャ=サンティ
作曲:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
あらすじ
序曲
序曲は、アレグロ(ニ長調、4分の4拍子)-アンダンテ・グラツィオーソ(イ長調、4分の2拍子)-プレスト(8分の3拍子)の3楽章の構成をとる、典型的なイタリア風序曲あるいはシンフォニアである。
第1幕
黒海沿岸のポントス(ポント)の王ミトリダーテは、ローマに対する戦役に出陣するに際して、結婚を約していたアスパージアを、2人の息子シーファレと兄ファルナーチェに託していた。そのミトリダーテが戦死したという報告が伝わり、かねてからアスパージアに対してよこしまな恋心を抱いていたファルナーチェは、その思いを遂げようとしてアスパージアに迫る。アスパージアは既に密かな愛を感じていたシーファレに対して保護を願う。ファルナーチェはアスパージアをはっきりと自分のものにしようと迫るが、彼女はこれを拒み、シーファレに助けを求める。2人は争うが、そこにニンフェアの領主であるアルバーテが来て、2人を押し留める。アルバーテは「ミトリダーテは生きていて、しかもニンフェアの港に帰ってきた」と告げる。2人は争いを止め、ミトリダーテを迎えようとする。だが、ファルナーチェはミトリダーテを裏切ろうとし、一方シーファレは父に従う気持ちを捨てなかった。つづいてローマの護民官であるマルツィオが登場し、ファルナーチェに対してローマ側に寝返るようにすすめる。
場面は港の情景に転換し、ミトリダーテがファルナーチェの花嫁としてイズメーネを連れて船を降りてくる。シーファレとファルナーチェも父親を迎えにやって来る。イズメーネはファルナーチェとの再会にもあまり心が動かず、アルバーテに対してミトリダーテは、自分が故意に戦死の報告を流し、2人の息子のアスパージアに対する態度を知ろうとしたのであると打ち明ける。アルバーテが2人の王子のとった態度について報告すると、ミトリダーテはファルナーチェの行為に激怒し、シーファレの態度には一応安堵する。
第2幕
ファルナーチェとイズメーネとのやりとりで始まり、イズメーネはファルナーチェの心変わりを責めるが、ファルナーチェは相変わらず冷たいままである。ミトリダーテはイズメーネに、息子だとしても容赦はしないと語る。つづいてミトリダーテとアスパージアとのやりとりがあり、彼は許婚がファルナーチェを愛していると思い込む。アスパージアはこの後、初めてシーファレに自分の思いを告白する。ミトリダーテが一同を呼ぶのを知って、アスパージアはシーファレを完全に避けようとする。
場面が転換してミトリダーテの陣営となる。ミトリダーテはイズメーネに、ファルナーチェはアスパージアによこしまな恋心を抱いているばかりか、敵国のローマに通じている裏切り者であると告げる。ミトリダーテは2人の息子を呼びつけ、ローマに対する戦争の続行と敵の本拠地であるローマを攻撃すると宣言する。しりごみするファルナーチェ、進んでローマへの攻撃を自分に任せるよう進み出るシーファレ。ローマの護民官マルツィオの出現にミトリダーテは激怒し、マルツィオを追いやる。父の怒りに触れたファルナーチェは、弟シーファレこそアスパージアの恋の相手であると暴露する。ミトリダーテは驚愕し、事実を確かめるべくシーファレをテントの陰に隠れさせ、アスパージアに罠をかける。彼女は罠に気付かずに、自分が愛しているのはファルナーチェではなくシーファレであると告白してしまう。事実を知ったミトリダーテは復讐を誓う。残されたアスパージアとシーファレは互いに自分の死を求め、やがて一緒に自殺しようと考える。
第3幕
架空庭園にミトリダーテが姿を現し、つづいてイズメーネに付き添われて来たアスパージアが登場する。ミトリダーテは自分を裏切った2人の息子を殺す決意を述べる。イズメーネはミトリダーテを諭し、アスパージアはシーファレの消息を尋ね、ミトリダーテはやはり自分の妃となって欲しいと乞う。これを拒むアスパージアも自分の復讐の生贄にしようというミトリダーテの前にアルバーテが駆けつけ、ローマ軍が上陸し、ミトリダーテの軍勢が潰走したと報告する。ひとり残されたアスパージアには毒の入った杯が届けられる。杯を飲み干そうとする瞬間、シーファレが兵士たちと登場して飲むのを止めさせる。自分はミトリダーテと共に戦争に行くと語って、兵士にアスパージアを託したシーファレは、自分はもうこうした人生に疲れたと歌う。
場面がニンフェアの城壁に通じる塔の内部に転換し、ファルナーチェは鎖に繋がれている。マルツィオがローマ兵と共に登場して、ファルナーチェを解放する。しかしファルナーチェは良心の呵責に苛まれる。
再び場面はニンフェアの王宮の大広間に変わり、負傷したミトリダーテが運ばれて来るが、シーファレとアルバーテが付き添っている。ミトリダーテは自分の死を覚悟し、シーファレの忠誠心と勇気の証人になったことを喜ぶ。アスパージアが登場すると、ミトリダーテは彼女をシーファレに委ねる。そこにファルナーチェとイズメーネも姿を現すが、イズメーネはファルナーチェもローマ軍を撃破し、その軍艦に火を放った忠誠心の持ち主であると告げる。ミトリダーテは彼を許し、こうしてシーファレとアスパージア、ファルナーチェとイズメーネは結ばれ、ミトリダーテは心安らかに息絶える。そしてポントをはじめとする東方の国々は、ローマに屈服することなく戦い続けることを誓う。
プログラムとキャスト
イタリア語上演、イタリア語・英語字幕付き
上演時間:約4時間30分(休憩あり)
指揮:リッカルド・フリッツァ
演出:クラウス・グート
舞台美術:クリスチャン・シュミット
衣装:ウルスラ・クドゥルナ
照明:オラフ・ウィンター
振付:サマー・ウルリクソン
出演者
ミトリダーテ | ジョヴァンニ・サラ
アスパジア | サラ・ブランチ
シファレ | マリアンジェラ・シチリア
ファルナーチェ | フランコ・ファジョーリ
イスメーネ | ジュリアナ・ジャンファルドーニ
マルツィオ | アラスデア・ケント
アルバテ | アグスティン・ペニーノ
テアトロ・ディ・サンカルロ管弦楽団・バレエ団
バレエ監督:クロティルド・ヴァイエ
テアトロ・ディ・サンカルロ制作、テアトロ・レアル・マドリード、フランクフルト歌劇場、リセウ大劇場との共同制作
テアトロ・ディ・サンカルロでの初演
サン・カルロ劇場 ナポリ
サン・カルロ劇場はイタリア・ナポリにある歌劇場で、劇場としてはヨーロッパで現役最古のものである。資金不足のため1874年-1875年のシーズンが中止された以外、定期公演が中止されたことがない点でも特筆される。
サン・カルロ劇場は、ナポリに劇場があることを望んだブルボン朝ナポリ王国の初代王カルロ によって建造された。開場は1737年11月4日、演目はピエトロ・メタスタージオ台本、ドメニコ・サッロ音楽のオペラAchille in Sciroであった。この時サッロはオーケストラの指揮も行い、幕間にはグロッサテスタの2つのバレエも演じられた。この劇場はその建築、金装飾、および豪華壮麗な青色(ブルボン家の色であった)の布張装飾で有名となった。
1816年2月12日、サン・カルロ劇場は火事により焼失するが、両シチリア王フェルディナンド1世の命により僅か10か月にして再建される。現在の建築はこの再建建築と基本的には同一であり、変化はヴェルディの提案したオーケストラ・ピットの設置(1872年)、電気照明の導入および中央シャンデリアの撤廃(1890年)、入口ロビー並びに楽屋棟の建築、に限られている。
1817年1月12日、再建された劇場はマイールの「パルテーノペの夢」(Il sogno di Partenope)で再オープンする。スタンダールはこの公演の2夜目を聴いており「ヨーロッパのどこにも、この劇場に比べ得るどころか、この劇場の素晴らしさの足許に及ぶところも存在しない。ここは人の目を眩惑し、ここは人の魂を狂喜させる」と書き記している。
1815年から1822年まで、ロッシーニはこのサン・カルロ劇場を含めたナポリ王国全ての王立オペラ劇場の劇場付作曲家・兼音楽監督であり、「オテロ」「湖上の美人」を含む9つのオペラがこの時期書かれた。
ジュゼッペ・ヴェルディもまたこの劇場と縁深い一人である。必ずしも彼の傑作とは言いがたいが、「アルツィラ」および「ルイザ・ミラー」はサン・カルロ劇場のために書かれた作品である。「仮面舞踏会」も本来はこの劇場のためのオペラだったが、スウェーデン国王が暗殺されるという筋書自体が王国であるナポリでは検閲で不許可とされ、舞台をアメリカ・ボストンに、初演地もローマに変更しての公演となった。
20世紀に入って、サン・カルロは革新的な支配人アウグスト・ラグーナを迎える。彼は1920年からの10シーズンをすべてワーグナー作品で開幕するという、当時のイタリアでは異例のプログラムを組み、またリッカルド・ザンドナーイ作曲、ガブリエーレ・ダンヌンツィオ脚本のオペラ「フランチェスカ・ダ・リミニ」などの新作オペラの初演にも熱心だった。
第二次世界大戦で大きな損害がなかったことも幸いして、サン・カルロ劇場は戦後いち早くイギリスへの引越公演(1946年)を行うなど、オペラ劇場としての機能を回復した。その革新的伝統は戦後も継続し、たとえばアルバン・ベルクの「ヴォツェック」のイタリア初演(1949年、カール・ベーム指揮)などが行われている。