ヴェルテール
MAY 2026 | ||||||
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月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
四幕の叙情的ドラマ
台本:エドゥアール・ブロー、ポール・ミリエ、ジョルジュ・ハートマン
作曲:ジュール・マスネ
ウェルテル
作曲:ジュール=エミル=フレデリク・マスネ
初演:1892年2月16日 ウィーン、宮廷歌劇場(ドイツ語)
:1893年1月16日 パリ、テアトル・リリック(フランス語)
台本:エドゥアール・ブロー、オール・ミリエ、ジョルジュ・アルトマンの共作(フランス語)
あらすじ
時と場所:1780年代の夏からクリスマス、フランクフルト郊外のヴェツラル
前奏曲:雪の降る墓地のベンチに座りこむシャルロットは牧師が祈りを捧げる墓に歩み寄り、凍えながら泣き崩れる。寂しい葬儀は人影もなく、離れて佇む夫アルベールと妹のソフィーもシャルロットを残し去って行く。
第1幕:大法官の家と庭
夏のある夕暮れ、父親はまだ7月だというのに、退屈する8人の子供達に、クリスマスキャロルの練習をさせている。そこに外出着に着替えた母親代わりの姉シャルロットが現れ、幼い兄弟たちに夕食を配ると、家の中は和み、子供達は微笑みながら食事を始める。家族団らんの中、父親の友人シュッミットとヨハンが訪れ、酒を酌み交わし、歓談をして帰って行く。一方、外のベンチには大法官に招かれた若き詩人ウェルテルが、家から漏れ聞こえる子供たちの声と家族を世話するシャルロットの姿に、幼いころを思い出し「おお、恵みに満ちた自然よ」と歌う。そして大法官の居間に通されたウェルテルは、懐かしい家族の光景に心癒され、家事を終えたシャルロットとともに舞踏会に出かけてゆく。ほろ酔い気分の大法官が友人の待つ居酒屋へ出かけた後に、仕事の旅から帰ったシャルロットの婚約者アルベールが訪ねて来る。出迎えた妹のソフィーが「姉は結婚準備を楽しんでいます」と話すので、アルベールは喜び「シャルロットは希望の全て」と歌う。間奏曲〈月の光〉が流れ、楽しげに語らうウェルテルとシャルロットが帰ってくる。ウェルテルはシャルロットに魅かれ「あなたは天使、最も愛する人!」と歌い恋心を告白する。婚約者のいるシャルロットは戸惑いを隠せない。すると家の中から「アルベールが戻ったぞ」と言う父親の声がする。シャルロットは慌て「昔、死の床につく母を安心させるために婚約した人がいるのです」と告げ、家に入ってしまう。残されたウェルテルは衝撃を受ける。
第2幕:ヴェツラルの町の教会前
大法官の友人シュミットとヨハンはお酒を飲みながら「太陽が輝く日曜日」と陽気に歌う。日曜礼拝にやって来る町の人々の中に、新婚三カ月のシャルロットとアルベールがいる。アルベールは毎日を共に過ごす幸せを歌い、シャルロットに後悔はないかと尋ねる。シャルロットは「私は幸せです」と答える。そして二人は連れ立って教会に入って行く。その頃シャルロットを忘れられないウェルテルは一人絶望にくれ、教会の外で「他人がシャルロットの夫!天使を我が手にできたなら」と〈悲痛の歌〉を歌う。すると教会から出てきたアルベールがウェルテルを見つけ、近づいて来ると「あなたの苦しみはわかります」と同情する。紳士的にふるまうアルベールに、ウェルテルは「私はもう町を出なければいけないのです」と答えるが、失望の色を隠せない。そこに礼拝の献花を持って現れたソフィーが「空は明るい光に輝き、皆幸せだ」と歌い、ウェルテルを励まそうと赤いバラを渡す。しかしウェルテルは「自分が幸せになる事はもうない!」とはねつける。ソフィーはそれでも「ダンスにお招きします」と告げ、アルベールとともに去って行く。その時、教会から出てきたシャルロットはウェルテルと再会する。ウェルテルは「最も純粋な愛が、最も罪深い愛になってしまった」と二人が出会った頃を回想し届かぬ愛を切々と歌う。心乱れるシャルロットは「アルベールは私を愛しています」と自らを懸命に律し、暫く町を離れるように言い「クリスマスにまた会いましょう」と告げ家路を急ぐ。残されたウェルテルは自殺を考え「旅から帰る時」を歌う。
第3幕:シャルロットの家
ウェルテルとの再会以来シャルロットは彼への想いを募らせ、人が変わったように衰弱している。「私の心には穴が空き、全て色褪せてしまった」と歌い、ウェルテルからの手紙を抱きしめる〈手紙の歌〉。そこに妹のソフィーが訪ねて来る。姉の様子を心配し「笑いこそが祝福!姉さんは皆が必要としている大事な人」と励ます。そして(ソフィーもウェルテルに淡い恋心を抱いているので)姉の苦悩は分かっていると告げる。それを聞いたシャルロットは堰を切ったように泣きだし〈涙の歌〉を歌う。ソフィーは「一緒に家に帰って、弟妹たちにクリスマスキャロルを教えて」と誘うが、シャルロットは虚ろにうなずくばかりである。仕方なくソフィーはシャルロットを抱きしめ帰って行く。残されたシャルロットは苦しみを叫び「神よ!勇気を!お導き下さい!」〈祈り〉を歌う。そこにウェルテルが現れ「あなたに会えないのなら死ぬつもりでした!」と告げる。シャルロットは必死で平静を装い「何もかも昔のままよ」と笑ってみせるが、部屋を見渡すウェルテルは想い出の品々が全て取り除かれていることに気づく。ウェルテルは名アリア〈オシアンの歌〉で「何故私を眠りから覚ますのか?」と悲痛な想いを訴え「唯一真実はこの愛である」と狂ったように激昂する。ウェルテルの激しさに怯えるシャルロットは、別室に逃げこみ「二度と会わない!」と叫ぶ。ウェルテルは絶望し「死!」と叫び去って行く。入れ替わり入ってきたアルベールは、ウェルテルの手紙を見つけシャルロットに渡す。手紙には「私は長い旅に出ます。銃を貸して下さい」とある。それを見たアルベールは非情にもシャルロットに銃を届けるよう迫る。しかしシャルロットが従うはずもない。怒りに震えるアルベールは銃を持ち駆け出してゆく。その姿を見たシャルロットは「神よ!間に合わせて!」と祈りながら後を追う。
第4幕:雪の教会前
駆け出してきたシャルロットは昔二人で並んで座ったベンチの下に、横たわるウェルテルを見つける。瀕死のウェルテルは許しを乞い「これであなたを無実に出来る」と穏やかな表情をうかべる。シャルロットは「傷つけたのは私の方です!」と泣きすがり、助けを呼ぼうとするが、ウェルテルはそれを遮り「君だけでいい。誰も二人を離せない。最後の幸せの時」と告げる。シャルロットは「私も愛しています」と初めて愛を認め、口づけをする。二人は固く抱き合い「全てを許しましょう!」と二重唱する。ウェルテルは最後に「二本のライムの木の下に埋めて下さい。」と言い残し息を引き取る。身じろぎも出来ないシャルロットはウェルテルの遺体を抱きしめる。今日はクリスマス・イヴ、教会からは子供たちの歌う明るいクリスマスキャロルが聞こえている。(幕)
プログラムとキャスト
フランス語上演、イタリア語と英語の字幕付き
上演時間:約3時間、休憩あり
演出 | ロレンツォ・パッセリーニ
舞台美術 | ヴォルフガング・グスマン
衣裳 | ヴォルフガング・グスマン
照明 | ヨアヒム・クライン
キャスト:
ヴェルテル | ヨナス・カウフマン (20, 22) / フランチェスコ・デムーロ (24, 26)
アルベール | ロドヴィコ・フィリッポ・ラヴィッツァ
ル・バイイ | セルジオ・ヴィターレ
シュミット | ロベルト・コヴァッタ
ヨハン | マウリツィオ・ボーヴェ
ブルールマン | ヴァスコ・マリア・ヴァニョーリ
シャルロット | カテリーナ・ピーヴァ
ソフィー | デジレ・ジオヴェ
カチェン | サブリナ・ヴィトロ
サン・カルロ劇場オーケストラ
サン・カルロ劇場子ども合唱団参加
子ども合唱団指導 | ステファニア・リナルディ
制作 | フランクフルト・オペラ
サン・カルロ劇場合唱団
サン・カルロ劇場アカデミー卒業生
Teatro di San Carlo | ブルー
サン・カルロ劇場 ナポリ
サン・カルロ劇場はイタリア・ナポリにある歌劇場で、劇場としてはヨーロッパで現役最古のものである。資金不足のため1874年-1875年のシーズンが中止された以外、定期公演が中止されたことがない点でも特筆される。
サン・カルロ劇場は、ナポリに劇場があることを望んだブルボン朝ナポリ王国の初代王カルロ によって建造された。開場は1737年11月4日、演目はピエトロ・メタスタージオ台本、ドメニコ・サッロ音楽のオペラAchille in Sciroであった。この時サッロはオーケストラの指揮も行い、幕間にはグロッサテスタの2つのバレエも演じられた。この劇場はその建築、金装飾、および豪華壮麗な青色(ブルボン家の色であった)の布張装飾で有名となった。
1816年2月12日、サン・カルロ劇場は火事により焼失するが、両シチリア王フェルディナンド1世の命により僅か10か月にして再建される。現在の建築はこの再建建築と基本的には同一であり、変化はヴェルディの提案したオーケストラ・ピットの設置(1872年)、電気照明の導入および中央シャンデリアの撤廃(1890年)、入口ロビー並びに楽屋棟の建築、に限られている。
1817年1月12日、再建された劇場はマイールの「パルテーノペの夢」(Il sogno di Partenope)で再オープンする。スタンダールはこの公演の2夜目を聴いており「ヨーロッパのどこにも、この劇場に比べ得るどころか、この劇場の素晴らしさの足許に及ぶところも存在しない。ここは人の目を眩惑し、ここは人の魂を狂喜させる」と書き記している。
1815年から1822年まで、ロッシーニはこのサン・カルロ劇場を含めたナポリ王国全ての王立オペラ劇場の劇場付作曲家・兼音楽監督であり、「オテロ」「湖上の美人」を含む9つのオペラがこの時期書かれた。
ジュゼッペ・ヴェルディもまたこの劇場と縁深い一人である。必ずしも彼の傑作とは言いがたいが、「アルツィラ」および「ルイザ・ミラー」はサン・カルロ劇場のために書かれた作品である。「仮面舞踏会」も本来はこの劇場のためのオペラだったが、スウェーデン国王が暗殺されるという筋書自体が王国であるナポリでは検閲で不許可とされ、舞台をアメリカ・ボストンに、初演地もローマに変更しての公演となった。
20世紀に入って、サン・カルロは革新的な支配人アウグスト・ラグーナを迎える。彼は1920年からの10シーズンをすべてワーグナー作品で開幕するという、当時のイタリアでは異例のプログラムを組み、またリッカルド・ザンドナーイ作曲、ガブリエーレ・ダンヌンツィオ脚本のオペラ「フランチェスカ・ダ・リミニ」などの新作オペラの初演にも熱心だった。
第二次世界大戦で大きな損害がなかったことも幸いして、サン・カルロ劇場は戦後いち早くイギリスへの引越公演(1946年)を行うなど、オペラ劇場としての機能を回復した。その革新的伝統は戦後も継続し、たとえばアルバン・ベルクの「ヴォツェック」のイタリア初演(1949年、カール・ベーム指揮)などが行われている。